2021.1.30
「ああ、つまんない」ー高収入の男を惚れさせ、念願の結婚ゴールを果たした美人妻の本音(第1話 妻:麻美)
夫は私をたいそう幸せな妻だと思っているのだろう
「いってらっしゃい、こうちゃん」
妙に甘ったるい女の声で、櫻井麻美の眠気はようやく吹き飛んだ。
「気をつけてね」
次の瞬間、それが自分自身の声であることに気づき小さな衝撃が走る。もちろん、麻美はベッドの中にいるわけではない。
どんなに睡眠不足で寝ぼけていても、結婚4年目にもなれば夫の康介を送り出す朝の作業くらい目を瞑ってでもできる。こんな些細な違和感はすでに麻美の日常の一部だ。
「いってくるよ」
夫に唇を重ね、ニッコリと微笑む。けれど康介は笑顔を返すでもなく、硬い表情で靴べらを手にとった。
夫は、自分をたいそう幸せな妻だと思っているのだろう。
早朝から小綺麗に身なりを整え、夫好みの和朝食と豆から挽いた濃いめのコーヒーを用意し、贅沢なマンションのキッチンの一角に立つ女。たしかに麻美は夫の財力によって、何不自由ない優雅な主婦でいられる。
――ああ、やっといなくなってくれた。
しかし康介が家を出た瞬間、麻美は心の中で悪態をつき口角を引き下げた。夫の在宅勤務が数日続いた後の妻の疲れなんて、彼は知る由もないのだ。
そう、夫は何も知らない。妻が日々どう過ごして、何を思っているか。
夫は何も知ろうともしない。妻が何を好み、何を欲し、何に不満や怒りを覚えるかを。
でも、きっと知る必要もないのだ。
夫婦に「愛」は必要ないのかも知れないという疑問は、ここ最近、麻美の中で確信に変わりつつある。
「すべて」を手にした女たち
「ねぇ、ロビーでよくすれ違うんだけど、麻美さんのご主人、やっぱり格好いいよねぇ」
大きくせり出したお腹を撫でながら、同じマンションに住む妻友の亜希が麻美に向かって濃いピンク色の唇を尖らせた。
彼女は麻美と同い年の32歳であるが、妊婦であるにも関わらず、唇と同じ色のミニワンピースを完璧に着こなしている。可愛らしい童顔と小柄な体型だからこそ成せる技だ。
今日は彼女のベビーシャワーのために表参道の「ザ ストリングス」のレストランの個室に近所の女数人で集まっている。お腹の赤ちゃんは女の子ということで、ドレスコードはピンクと決め、皆それぞれピンクの服を着ていた。
「しかも弁護士さんでしょ? すごいよね」
そう言ったのは、やはり同じマンション在住の友里恵だ。
――よく言うわよ。
麻美は穏やかに微笑みながら、少々シラけた気分になる。
友里恵は生後半年の男の子をエルゴの抱っこ紐であやしながら羨ましそうな声を出すが、彼女の夫が経営するAI関連のスタートアップ企業は最近上場したらしい。
康介が大手事務所の弁護士として高収入を得ているのは事実だが、友里恵の家は勤め人とは比べものにならない財力を手にしているのだ。