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AV監督・二村ヒトシにゴールデン街で恋愛相談「二村さんって、なんでキモチワルいのにモテるんだろう?」

二村ヒトシは克服者なのか?

二村さんと久しぶりに飲んでしばらくしてから、家の本棚にあった『すべてはモテるためである』を読み直してみることにした。好きな作家の人とお会いしたあとに、もう一度その人の本を読み直すことが好きだ。二村さんに久しぶりに会ってから読んでみると、大学生のころに読んだときとは本の印象がガラリと変わった。

二村さんは自意識過剰でキモチワルいことを自覚しようとか主張する割には、自分も十分に自意識過剰でキモチワルいところもある人だし、そのくせ、なぜかモテてやがる、非モテ向けにモテ指南本を出版して売れたことによってどんどんモテるようになるマッチポンプ式の世界を生きてやがるんだ!と、二村さんに初めて会ったときに僕は思ってしまった。しかし今になって本を読み返してみると「まれに、キモチワルいのにモテてる人というのが現れることがあります」と、キモチワルい人がモテるということは言及されているし、「僕は今でもキモチワルい」とも書かれてるし、「モテ本を出してからモテるようになった」とも書かれていた。別に僕がわざわざ突っ込むまでもなく、二村さんは自分のことを「キモチワルい」と、何年も前から本の中で自覚的に書いていた。

じゃあ、なんで僕は二村さんに会ってそのキモチワルさに驚いてしまったのかと反省してみると、大学生のころに読んだとき、僕は二村さんの本を誤読していて、ずっとそのままの認識で生きていたのだな、と思った。これだけ男の自意識について解像度高く捉えていて、「なぜモテないかというと、それは、あなたがキモチワルいからでしょう」なんて鋭利な言葉を他人に向けて書くことができる著者の二村さんはキモチワルくない人間に違いない、と勝手に思い込んでしまい、そうした二村ヒトシ像を頭の中で創り出してしまっていた。「本の中で言語化していることは著者本人はもう克服できているはずで、もう次の段階に進んでいるはずだ」という決めつけが自分の中にあった。それは、文章というものに対する過剰な期待であり、著者の神格化、あるいは著者への依存とでも言えるような読書の仕方だった。

『すべてはモテるためである』は、二村さんが経験して克服したことを克服者として書いているのではなく、現在進行形でくよくよと悩んでいる己の姿を、実況中継するみたいに書かれた本なのだな、と読むことができるようになった。実際に二村ヒトシという存在に生で触れることで、以前よりも二村さんの書いた本を正しく理解することができるようになったのだ、とまで言い切れるのかはさすがに怪しいけど。もう『すべてはモテるためである』を読んでも、本に書かれている文字を読むというよりも、そこに書かれている文字を媒介にして二村さんと一緒に過ごした時間のことを想い出すことの方が多くなってしまっているし、今度二村さんに会ったらなんて言ってやろうか、ということばかり考えてしまうし、なんならこの場で、二村さんに言いたいことを言ってやろうかと思う。

二村ヒトシさん。僕は、確かに二村さんの本を誤読していた。「なぜモテないかというと、それは、あなたがキモチワルいからでしょう」という鋭利な言葉だけが強く自分の心に刺さり、こんなことを言う著者の二村さんはキモチワルくないに違いない、と決めつけてしまっていた。それは文章に対する過剰な期待であり、著者の神格化であり、著者への依存でしかなかった。実際の二村さんは、十分に自意識過剰でキモチワルいところもあるし、それでいて、すごく自分の感情に素直で、良くも悪くも人を巻き込んでしまう魅力を持っていて、モテてしまう人だ。キモチワルさは克服されたのではなく、キモチワルさを残したままモテるようになっているのだ。二村さんと会うことができたから、そのことに気づくことができたけど、誤読して僕が自分の中にキモチワルくない二村ヒトシ像を抱きながら何年も生きてしまったことは事実だ。本当に身勝手であると思うし、ちょっと強い言葉で悪いけど、誤った期待を抱きながら生きてきてしまった過去の自分を成仏させるためにも、どうかこれだけは言わせてください。

二村ヒトシさん、なぜあなたがモテるかというと、それは、あなたがキモチワルいからでしょう。

(第3回・了)

 次回連載第4回は12/7(水)公開予定です。

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山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』。

Twitter@sirotodotei

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