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モデルになった人の許諾を取りながら私小説を書くということ【シン・ゴールデン街物語 最終回】

哲学研究者の清塚邦彦さんの『フィクションの哲学』という本がある。その本によると、フィクション(fiction)の語源はラテン語の「fictio」という語に遡るらしく、ラテン語の辞書によると「fictio」には、「偽装すること」という意味と、「形づくること」という2つの意味があるようだ。「偽装すること」という方は日本語訳における「虚構」の「虚」の文字にあたり、「形づくること」という方は「構」の文字にあたる。

文章のモデルになってくれた人に許諾を取るということは、モデルになってくれた人の迷惑にならないよう文章内の設定を偽装することであり、自分が書いた文章の修正や削除の依頼を受け入れながら共にひとつの物語を形づくっていくことであった。そうした過程で創られた文章はもはやノンフィクションではなく、語の原義から照らし合わせてみても明確にフィクション(虚構)なのだと思った。

さらに自分の中で想定外だったことは、初めてフィクションと銘打って連載に掲載した「彼女が僕としたセックスと動画の中のセックスは完全に同じだった──ゴールデン街で店番をする風俗嬢から突然のDM」という記事が、どの記事よりも多くの人に読まれたということだった。PV数という数字からしてもよく読まれたことは一目瞭然であったし、なにより、その記事を公開した直後、プチ文壇バー「月に吠える」で店番をしているときに、明らかに来てくれるお客さんの数が増えたことでその反響を実感することができた。

「風俗嬢にお尻を握ってください、と言われる記事を読んで来ました」

という人が毎週のように何人もやってきては、自分が感じていたけど見ないことにしていた感情に目を向けることができたとか、昔のゴールデン街とは違う今のゴールデン街をちゃんと書けているとか、直接感想をもらった。

もちろん、物語の影響というのは肯定的なものばかりではなく、「あなたの文章を読みました。私はあなたと同じだと思いました」と言ってきた女性が数週間後には「あなたは私を振り回してる」と突っかかってきたこともあったし、ゴールデン街で飲んでいるときに「君が店番してるときに来てるあの子もどうせお前の文章のファンなんだろ!」と急に僕の肩をぶん殴ってきたおじさんもいた。

小説というものは作者の手を離れたらもう作者のものではないのだ、と小説家がインタビューで口にするような恰好のよい言い回しがあるが、このときほどそのことを実感できたこともなかった。これまではずっと家でひとりブログで文章を書いていただけだったから、自分が書いた文章が与えた影響を毎週のように生で観れるというのは新鮮なことであったし、フィクションとかノンフィクションに関係なく、文章は読んでくれた人の反応にこそ本当のことがあると思うようになった。

そんな風に進めてきたこの連載は、ありがたいことに、単行本にしてもらえることになった。
担当編集の稲葉さんというのはとことん不思議な人で、単行本になると決まったとき「単行本用に書き下ろしを書いてほしいです。この本には、最終回は絶対あります!」と、まるで最終回の代弁者のようなことをパキパキな目で言ってきた。書けることがあるかないかを判断できそうなのは僕であるのに、稲葉さんの方が僕以上に最終回があるという揺らぎない自信を持っていた。その言葉をとりあえず信じて、単行本用の書き下ろしの私小説を書くことにした。

締め切りがあるから物語を意志しなければならなかったこと。モデルになった人の許諾を取りながら文章を書いたこと。自分が書くものがフィクションでもよくなったと思えたこと。フィクションを書いたとしても読んでくれた人の反応の方に本当のことがあると思えたこと。物語が他人に与える影響は良いものもあれば悪いものもあること。好きになった人と仲良くなるためには、店番として働くことはとても大切だったこと。

この連載を進める中で自分の中に浮かび上がってきたテーマやだんだんと変化して固まってきた考え方の全てを、書き下ろしの小説に収めることができて、本当に最終回のような文章が書けた。この連載の集大成のような私小説だと自分でも自信をもって思えるものが書けたので、連載を追ってきてくれた方にこそ、ぜひ単行本に収録された書き下ろし小説を読んでほしいと思う。

単行本の書き下ろし小説も含めて、この連載に書かれた文章は、純粋に文章だけを評価してくれる編集者の稲葉さんがいなければ挑戦しようとも思えなかったし、文章のモデルになってくれた人との出会いがなければ生まれようもなかったし、連載を読んで感想を伝えに来てくれる人がいなければ書き得なかったものばかりになった。

自分の文章の編集者も、モデルになってくれた人も、読者も、すべてがゴールデン街というひとつの街で会える環境で文章を書くことができたのは、これからの人生においてもう訪れないくらい稀な経験であったと思う。

人には、自分がだれかから見られているということを意識することによってはじめて、自分の行動をなしうるというところがある。

浜田寿美男・山口俊郎『子どもの生活世界のはじまり』

この連載を始める前は自分のことをとても「作家」と名乗ることはできなかったけど、「作家」と名乗りながら楽しく時間を過ごすことができるようになりました。少なくとも、ゴールデン街で飲んだり店番をしたりしながら文章を書いていた、この1年の間は。

1年間の連載にお付き合い頂き、ありがとうございました。

(終)

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山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

Twitter@sirotodotei

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