よみタイ

篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

第15回 シャンプー台と専用椅子 ――家庭に導入できない様々なモノ

「シャンプーしてみます?」
 病室に華やいだ声が響いた。おしゃれ系の若い看護師さんがにこにこ笑って立っている。手術から二日後の午前中のことだ。
 はーい、とためらわずについていくと、ナースステーションの裏側にシャンプー台と椅子があった。美容室にあるのと同じシャンプー椅子に腰掛けると、看護師さんが美容師さんの手際で、すいっと椅子を倒し、しゃかしゃかと洗ってくれた。
 えっ、いいの? さしたる重症でもないのに、恐れ多くも看護師さんに髪を洗わせている……。
「病院でこんなことしちゃうんだ!」
「そう、昔は皆さん入院とか手術とかいうと髪を切ったらしいですけど、それって気分もダウンするじゃないですか」
 然り。
 トリートメントもすすぎも終わって、さっとタオルドライ。
「ドライヤーはそこにあるのでどうぞ」と、かたわらの化粧台を指差すと、看護師さんは車椅子で待っていた次の患者さんの洗髪に取りかかる。
 浮き浮き感に鼻歌の一つも出そうになりながら髪を乾かした。
 さっぱりして気持ちいい、のはもちろんだが、洗髪中の看護師さんの明るいトークと「美容室」の雰囲気に入院中であることを忘れた。これはヘタなカウンセリングより効果大かもしれない。

 ふと、二十数年前にさる大病院の主催する介護教室に通ったことを思い出した。
 ベッドに寝ている被介護者の頭を囲むように、畳んだタオルをU字形に置き、その上からビニール風呂敷を敷いて土手を築く。片手で被介護者の首を浮かし、傍らのバケツから汁椀(!)でお湯をくみ出して髪を濡らす。シャンプーした後は、その汁椀でゆっくりお湯をかけてシャンプー剤を流す。汚れた水はベッドの下に置かれたバケツに落ちる。
 被介護者役である受講生の頭にプラスティック椀でお湯をかけながら、ひどく落ち込んだ覚えがある。身の回りの物を使うにしても、プラスティックの汁椀と、布団の上にビニール風呂敷か? 若い娘どもの朝シャンが流行って、普通の家でもシャワー付き洗面台を取り付けた時代のことだ。
 絶対安静の病人や怪我人ならいざ知らず、要介護者になったとたんにこれかよ、と暗澹あんたんたる気持ちになった。
 在宅介護サービスが普及した現在は、状況は多少変わっているのだろうが、それでも限界はある。

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。最新刊は『鏡の背面』。
撮影:露木聡子

週間ランキング 今読まれているホットな記事