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篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

別に、発情はしてませんですが……。  手術翌日の昼下がり

介護のうしろから「がん」が来た! 第14回

 午後一時過ぎに『鏡の背面』の著者校が終わる。担当新人女子宛てに「完成! 取りに来い」のメールを送るも、なしのつぶて。後に扁桃腺炎へんとうせんえんで動けず休暇を取っていたことを知る。社会人二年生、慣れない環境で無理を重ねたのだろう。お大事に。
 ほっと一息ついたところにドアがノックされた。先生方の回診か看護師さん? と思っていると入口のカーテンの下から私服と思しきウールっぽいズボンが見える。
 夫ならノックなどしないで入ってくるはずだが……。
 えっ!?
 どこから舞い降りてきたのか、スーツ姿の紳士がソフト帽を手に立っている。
 久坂部羊くさかべようさんだった。
 お見舞いに来てくださった。
 
 椅子をすすめ、メールでアドヴァイスいただいたお礼を申し上げ、手術が無事に済み、今のところ経過も順調であることを報告する。
「二人に一人ががんになる時代ですから、特別なことではありません。がんと共存しながら寿命をまっとうする方もいますよ」とまたしても冷静に励まされる。
 それにしても、この人のこのかっこよさは何なのだ、としばし見とれる。そして気づく。服装の趣味や顔立ち、スタイルといった要素ではなく、立ち居振る舞いだ、と。女性の病室に入ってきたときの落ち着きっぷりと、相対して話をしているときの受容的な態度。白衣を脱いでも久坂部さんはお医者さんだった。権威をまとったお医者さんではなく、おそらくは患者さんから無条件に信頼を寄せられてきたお医者さんなのだろう。
 関西在住の久坂部さんだが、この日は著作のドラマ化の打ち合わせのために東京に出てこられたとのこと。忙しいスケジュールの合間を縫ってのお見舞いに感謝である。
 
 エレベーター前で見送った後、さっそく小池真理子ねえにメールで報告。
「今、パジャマ姿でだらけていたら、病室に久坂部さん登場。ものすごいダンディでたまげた。亭主のいない個室で創作欲をそそられる昼下がりです。片方を失うこととセクシュアリティをテーマに一本書けそう」
 実は、三月の対談の折に、小池さんから乳がんで乳房を切除することとセクシュアリティについての質問を投げかけられたのだが、還暦過ぎのおばさんにとってはあまりピンと来ないまま時間切れで対談が終了していたのだ。
 即座に返信が来た。
「片乳(!)になったばかりで、まだ傷も癒えていないというのに、殿方にエロスを感じるとは、さすが!! うーむ、その生命力の強さは、あっぱれです。めきめき回復間違いなし」
 いや、別に、発情はしてませんですが……。おばさんの現実はどこまでもモノクロなのだが、創作の導火線に火がつくや否や、LSDもかくやと思われる虹色に輝く世界の連続爆発が起きるのが小説家という生き物だ。

 

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。
撮影:露木聡子

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