よみタイ

篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

第11回 バストが邪魔。巨乳温存マダムのゴージャスな愚痴

 入院当日はやたらに忙しい。パジャマや着替えをしまう間もなく看護師さんや先生が次々に現れ、手術の説明や検温、問診などがある。
 手術を控えた患者は、ただまな板の上の鯉で寝ていればいいわけではない。個室のシャワーで髪や体を洗い(手術する側の胸から腹にかけては、細菌感染を防ぐために特殊な洗浄液とスポンジで入念に洗う)、輸液がわりの飲料を数本手渡され、それを指定された時間に飲む、手洗いにおいてあるカップに尿を取り、排泄量を量って所定の用紙に記入する、やはり感染を防ぐために指定の時間に鼻の穴に薬を塗る等々、こまかな「仕事」がたくさんある。
 自分の体は自分自身のもの、管理者は自分。治療を受けるに当たっての患者の主体性を、to doリストを提示されてチェックしながら行動することであらためて自覚させられる。
 
 一人になった折に病室内をガラケーで撮影。「これが帝国ホテルより高い個室」とコメントをつけてあちこちにばらまく。
 聖路加病院にまつわる噂と伝説には、「豪華なセレブ病棟」というのもあるが、私が入ったスタンダード個室は、電動ベッドのヘッドボードに酸素吸入器やライトなどの物々しい装備がつき、手洗いには排尿量を量るカップが常備されて消毒薬の臭いが漂う、紛れもない普通の病室だ。ちなみに一泊三万の差額ベッド代は相場であり、調べたところ国立がんセンターや虎の門病院もそのくらいということが判明。もちろん帝国ホテルはもっと高い。

 そうこうしているうちに昼食が来る。聖路加にまつわる噂と伝説のお次は、「食事が豪華。希望すれば最上階のフレンチレストランから取れる」
 だがお盆にのっているのは、煮魚、野菜の炒め煮、和え物。献立も食器も普通の病院食だ。豪華はウソ。でも、おいしい。冷めていても、豪華でなくても、見た目がおいしそうでなくても、ちゃんとおいしい。良心的に作られた優しい味だった。ちなみに「フレンチレストランから出前」もウソ。そもそも病院の最上階にフレンチレストランなど存在しない。一階にある病院食堂で作った特別食を取れる、ということのようだ。
 
 食事を終えてすぐにゲラを引っ張り出し著者校正作業。
 午後の三時過ぎに、翌日の切除手術と同時に行われるセンチネルリンパ節生検の事前処置がある。センチネルリンパ節、とは、乳がんから流れ出たがん細胞が最初にたどり着くリンパ節のことだ。乳がんでは主に腋の下のリンパ節への転移がしばしば起こるが、最初にがん細胞がたどりつくセンチネルリンパ節を乳がん手術と同時に取って、そこにがん細胞があるのかどうか調べる。もし無ければ腋の下のリンパ節を切除しないで済む。がん細胞がそこで発見されれば腋の下のリンパ節を広く取って、離れた他の臓器に転移している可能性について調べる。
 昔は乳がん手術と同時に有無を言わせず腋の下のリンパ節を広く切除して他臓器への転移の可能性を調べていたそうだが、そのために腕がむくんだり上がりにくくなったりと、術後に様々な不都合が起きる。取らないで済むならその方が良い。
 それで手術に先立ち、乳房に放射性同位元素を注射し少し時間をおいてから腋の下をX線撮影することでセンチネルリンパ節の場所を確認し、皮膚の上にマーキングする。
 死亡率を減らすだけでなく、術後の運動機能低下や痛みといったことへの対応も、この二、三十年でびっくりするほど進化している。
 
 夕刻、約十年前にやはり乳がん手術を受けた友達がやってきてゆっくりおしゃべり。再発への不安や長く続く痛み、体力低下、そんな中で看取った父親のことなどなど、みんなに慕われる姉貴分の屈託の無い笑顔の下にあったあれやこれやを知る。しみじみだれかと語り合うなどというチャンスも、病気が与えてくれるものの一つかもしれない。
 
 元職場の大先輩、温存手術を受けた巨乳おつぼねMさんからも電話がかかる。はるばる地元から出てきてくれるということだったが、あいにくその日は手術当日なので、お気持ちだけいただくことにした。彼女のがんは高齢の両親の介護中に発症したのだが、他の病院でセカンドオピニオンを受けて経過観察。数年後、ご両親を見送ったタイミングで手術を受けた。幸い再発していないが、その後独身の弟さんが脳梗塞で倒れ、現在、そちらの介護で忙しい。そんな中でお見舞いの日程を設定してくれたのだ。それにしても時間差トリプル介護と並行して抱えた自身のがん。深刻度125%の状態が十年以上も続いているというのに、機関銃のごとく愚痴を連射しながらMさんはいつも元気だ。
「で、何よ、篠田さん、温存じゃなくて切除なの?」
「Mさんみたいな巨乳ならともかく、私が温存やったって何も残らないよ」
 あっはっはーと笑った後に、Mさんは愚痴る。
「でもさぁ、この年になると重たいし、肩凝るし、ほんっと邪魔でしょうがないのよね、もう、全部取ってもらいたいわ!」
 地獄に落ちろ……。

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。最新刊は『鏡の背面』。
撮影:露木聡子

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