よみタイ

篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

第2回 マンモに写らなかった影

 乳腺クリニックを受診して四日後、甲状腺腫瘍の再穿刺の結果が出たのだが、こちらも相変わらず灰色、厳重観察のままだ。
 あっちもこっちも灰色かよ、とやさぐれつつ六十二という自分の歳を思った。もう決して若くはないが、死ぬにはやや早い。
 加齢とともに細胞の正確な複製能力が落ちてくることを思えば、還暦過ぎの人間の体に五分五分の確率でがん細胞が存在するなど当たり前のことなのだが。
 それではそろそろ準備した方がいいかと、ネットで日本尊厳死協会のホームページを呼び出す。
 そんなものに入っていたって、いざ、容態が悪くなれば、病院と家族のやりとりで延命が決められてしまって本人の希望通りにはならない、という話はよく耳にする。だが何も意思表示せずに、鼻管栄養、胃瘻いろう、点滴、人工呼吸器、ついでに身体拘束も入って、拷問のような数ヶ月を過ごして死ぬのは御免被りたい。
 送られてきた申込書を読むと、リビングウィルの内容が、意外に詳細で具体的なものだとわかった。それまで漠然と「尊厳死」といってもなかなか本人の意思が反映されなかった事例をふまえてのことだろう。
 グッドタイミングかバッドタイミングか、ちょうどその頃、まさにその「尊厳死」をテーマにした小説『死の島』について、作者の小池真理子さんと対談する企画が飛び込んできた。
 即座に「グッドタイミング!」と引き受けるのが作家の習性だ。取りあえず、「こんな状態で、ただいま結果待ちです」と担当者にメールを打つ。
 数日後、携帯に小池真理子さんから電話がかかる。病状を心配してくださり、力になれれば、と具体的な申し出をいくつかしてくれる。社交辞令ではない真摯な言葉にはいつも心を打たれる。
 その翌週、乳頭からの分泌物の検査結果が出て、いよいよ乳がんの疑いが強まり、針生検に進む。昔なら組織を切り取って検査に回したところだが、今はマンモトームという機械を用いて病変部分に針を刺し、組織を吸引して採取する。針といっても直径三、四ミリはある太いものなので、局部麻酔をし、先生が画面を見ながら、えいやっ、とそれらしき部分を狙って刺す。その後、ズズズっという音とともに組織が管に吸い込まれる。もちろん麻酔が効いているから痛みはないが微妙な気分だ(ちなみに甲状腺穿刺の方は麻酔無しで針を刺されるので痛い)。
 このマンモトームによる生検によって最終的に結果が出て、旅行先の熱海に電話がかかってきた、というわけだ。もちろん電話で結果を告げられることはなかったが、この時点で「クロ」は確定。
 まあ、命を失うことはないだろうが、この先、手術、放射線、抗がん剤治療等々で辛く不自由な生活が始まると思えば、お楽しみは今だけさ、という刹那的気分にとらわれる。
 胸に秘めた恋などあれば、どこぞの殿方にメールなど送っているところだが、還暦過ぎの身にそんなロマンはない。
 自宅で留守番している亭主に電話で報告した後は、インフィニティープールで夕陽を眺め、温泉にかり、夕食のブッフェで美容にも健康にも悪そうな、高脂肪、高カロリー、高コストの料理を皿に取りまくる。
 それはともかく、乳がんは発見さえ早ければ九割は助かる、と言われ、どこの自治体でも乳がん検診に力を入れている。

 その際、触診とマンモグラフィーは基本で、私自身も受けていた。だが毎回、異常なしという結果だった。今回、乳腺科で受けた検査でさえ、触診とマンモで異常は発見できなかった。
「あのさぁ、節子さんとお風呂入ったことはないけど」と電話で話した折に小池真理子さんが口ごもった。「節子さん、巨乳じゃないよね。大きいとマンモに写りにくいって話だけど、どっちかっていうとヒンだよね……」
 おいっ、こら!
 ヒンだからといって全部が全部写るわけではない。だがエコーには捉えられた。
 逆にエコーでは何も発見できず、マンモグラフィーで見つかる場合もあるらしい。
 大切なのは、検診を受ける一方で、日常的に自分の体の状態に気を配ることではなかろうか。自分で触れたときの固いもの、何とはなしの違和感、小さな出血、張ったような重苦しさ。
 乳房に限らず、自分の体の中で異変が起きているときは何かサインがある。
 頭の良くなりすぎた人間という生き物は、しばしば体からのサインに気づかない。気づいても気づかないふりをする。
 今はそれどころじゃない、たいしたことはない、と体からの警告や訴えを無視して仕事に励み、子育てや介護にいそしむ。それが深刻な結果をもたらすこともある。
 体の声を無視してはいけない。
 おかしい、と思ったら立ち止まる。危ない、と判断したら医療機関を訪れる。その一瞬を、自分ファーストに切り替えることの大切さを、病気になって初めて知る。

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篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。最新刊は『鏡の背面』。
撮影:露木聡子

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