よみタイ

酒井順子「家族終了」
男女の夫婦に、子ども二人。
かつて日本の「核家族」はそんなイメージだった。
現代は、入籍も結婚もせず、子どももいたりいなかったり、
血縁関係なく同居していたり、同性同士がカップルだったり。
家族とは何だろう――変わりゆく「家族の風景」を考察するエッセイ。

第6回 呼び名

 電車の中で、下校途中の女子高生に囲まれました。聞くともなしにその会話を聞いていると、内容はほとんど勉強のこと。新橋の飲み屋におけるサラリーマンが仕事の話をするかの如く、女子高生達は勉強やテストの話に夢中になっていたのです。
 やはり今時の高校生は真面目であることよ。‥‥と思って聞いていたのですが、もう一つ気づいたのは、彼女達が下の名で呼び合っている、ということでした。
「アヤカとユウナは頭よくていいな~」
 とか、
「リナは先に帰ったよ」
「マホは渋谷行くってー」
 などと言い合っている。
 それ、普通のことじゃないの? と思われる方も多いでしょうが、私自身は、小学生時代から今に至るまで、女友達には「酒井」と呼ばれ続けてきた、つまりは「下の名前で呼ばれない」人生を送ってきました。周囲を見ても、苗字で呼ばれる女子が割と多く、下の名前で呼ばれているのは、「子」がつかない洒落た名前の子だった気がする。
 私の時代は、ニックネームで呼ばれる子も、少なくありませんでした。今となってはPC的に問題がありすぎる差別的なニックネームも平気で使用されていて、同窓会の時には皆が何と呼んだらいいのか苦慮したりしているのです。
 ですから皆が下の名前を呼び捨てにしあう今の女子高生を見ると、「欧米みたい!」と思う私。私の時代は、「順子」のみならず「子」がつく名前の人が多かったわけですが、「子」系の名前は、呼ばれるための名というよりは、書かれるための名前だったのではないか。対してキラキラしている今風の名前は、皆に呼ばれ、親しまれ、女子として愛されるための名前、という感じがいたします。
 そんな私も、親からはもちろん下の名前で呼ばれてきたのです。我が家には名前呼び捨て文化が無かったので、親や祖父母からも「順子ちゃん」と呼ばれており、唯一、兄だけは「順子」と呼び捨て。
 家族・親戚以外の人からほとんど初めて下の名前で呼ばれたのは、大学に入って、帰国子女の友人ができた時でした。アメリカ帰りのその子は、当然のように私を「順子」と呼んだのです。
 友人から下の名前を呼び捨てにされたことがなかった私は、そのフランクさにドギマギ。しかし一方では、一人前の女子になることができたかのようで、妙に嬉しかったことを覚えています。子供の頃から下の名前で呼ばれ続けてきた女性と、苗字で呼ばれ続けてきた女性とでは、このように「女子意識」のようなものに大きな差が出るような気がするのです。
 それから、幾星霜。気づくと、ただでさえ少なかった、私のことを「下の名前で呼ぶ人達」が、激減していました。まず、元々の家族は、既にいません。子供の頃から「順子ちゃん」と言ってくれていた親の友人・知人達も、鬼籍にったり闘病していたりと、会う機会が減ってしまいました。
 大人になってから知り合った人や、仕事上の知り合いは、当然のように私のことを苗字で呼びます。もちろん古くからの友人は未来永劫、私のことを「酒井」と呼び続けるであろう‥‥。
 それは、仕方のないことなのです。下の名前で呼ぶ人というのは、つまり私のことを「小さき者」として見てくれていた人。そんな私も五十代になれば、「小さき者」では全くない上に、かつて下の名前で呼んでくれていた人は皆、年をとっていくのですから。
 今となっては、いとこ等の親戚や、親の友人・知人で身体の丈夫な人くらいしか、私を下の名前で呼ぶ人はいなくなりました。フレンドリーな近所のチビっ子から、
「じゅんじゅん!」
 と呼ばれることがあるのですが、そんな子を見ていると「愛される子というのは、小さい時から相手の懐に入っていくことができるのねぇ」などと感心するものです。
 たまに新たな知り合いで、
「順子さん」
 などと呼んで下さる人がいると、その聞きなれない響きにドキッとする私。下の名前をあまり使用しない人生を送っていると、「順子さん」とやらが誰なのかが、一瞬わからなかったりするのです。
 相手をどう呼び、どう呼ばれるか。様々な呼び方が存在する日本において、呼び方は関係性を左右する問題です。特に家族間での呼称は、ここしばらくでずいぶん変化しているのではないでしょうか。
 家族の間での呼び名は、家族のあり方を示しています。私の子供時代、親は子供からたいてい「お父さん」「お母さん」もしくは「パパ」「ママ」と呼ばれていました。しかし今の家族を見ていると、たとえば親のことを、「むーたん」(例)などと、ニックネームで呼ぶ子供もいる。「ユミさん」(例)などと、親を名前で呼ぶ子も、珍しくありません。
 きょうだい間の呼び方には、さらに変化が見られます。私の時代、兄や姉のことは「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ぶのが一般的でしたが、今はきょうだい間でも名前で呼び合うケースが多い。
 つまり私が小さかった頃は、家族は「お母さん」「お兄ちゃん」など、役職名で呼び合うことが多く、家族の中で最も小さい者だけが、名前で呼ばれる権利を持っていました。
 それが今、家族の間でも名前や愛称で呼び合うようになってきたのはなぜかといったら、家族の関係性がフラット化してきたからなのでしょう。昔よりも親の地位は下がり、子供と親とが限りなく同格化。きょうだい間でも、先に生まれたから偉いといった感覚が薄れてきたからこそ、呼び方も変わってきたのではないか。
 子供の名前に、「孝」「忠」「義」「節」など、儒教っぽい文字がまだ頻用されていた私の子供時代は、家族それぞれの役どころがきっちりと決まっていました。妻は夫に仕え、子供は親を敬うべき、という感覚が、私達に名前をつけた親の世代には残っていたのです。
 しかし、私達は名前の通りには育ちませんでした。バブル世代の私達は青春時代、自分の名前と行為の間に、激しい乖離かいりを感じていたのです。
 たとえば、夜な夜な六本木にでかけては親に心配をかけてきたお嬢さんの名前が、「孝子たかこ」(例)だったり。じゃんじゃん男性と交際しまくっているお嬢さんが、「清美きよみ」(例)だったり。‥‥ということで、名と実が全く合っていないという現象が頻発。ミラーボールの下で踊り狂いながら、孝子さんも清美さんも、「何か、違う‥‥」と思っていたのではないか。
 だからこそ我々世代は、結婚して自分の子供が生まれた時、儒教的命名をしようとはしなかったのでしょう。孝子さんも清美さんも、自分の子供には「麻里香まりか」とか「紗有希さゆき」とか、漢字はたくさん使用されているけれど深い意味は宿らない、という命名をするように。そして家族の関係性はフラット化し、長幼の序など関係なしに、友達感覚で互いに名前で呼び合うようになったのです。
 子供の命名に関しては改革をもたらした我々世代ではありますが、一方で昔ながらのやり方が遵守されている部分もあります。それはたとえば、夫婦間の呼び方。家族の関係性はフラット化した中でも、夫婦の間だけでは、
「パパ」
「ママ」
 と役職名で呼び合っているというケースは、意外と多い。
 友人夫婦が「パパ」「ママ」と呼び合っているシーンを初めて見た時は、たいそう驚いたものです。それは三十代半ばくらいのことだったかと思うのですが、ある友人の家に遊びに行った時、
「パパ、ちょっとティッシュ取って」
「ママ、これ美味しいね」
 などと言い合う現場に遭遇したのです。
 子供の頃から苗字で呼ばれがちな女性には晩婚傾向があると私は思っているのですが、その時の私はもちろん独身。「この二人、子供がいない時代は『マーくん』『ミキちゃん』って呼び合っていたんじゃなかったっけ」と、呆然としました。
 日本の家庭では、家族の中で最も年下の者が使用する呼び名で、全てのメンバーが呼び合うケースが多いものです。つまり、末っ子が「パパ」と呼べば、妻も夫をパパと呼ぶ。そしてパパ本人も、
「パパは明日から出張だから‥‥」
 などと、一人称まで「パパ」となる。
 子供のいない私にとってこれは不思議な現象なのですが、夫婦が「パパ」「ママ」と呼び合うことは、結果として夫婦がオスとメスであるという事実から目をそらすことにつながる気がします。
「パパ」「ママ」と呼び合う夫婦というのは、「自分の子供の父親/母親」として相手を認識し合っています。たかだか言葉、ではあるけれど、されど言葉、とも言うことができるこの問題。その手の夫婦は、互いを直接見るのではなく、子供を通して話をしているということになりはしまいか。
 子供のいない夫婦はしばしばペットを愛玩していますが、ペットから見た時にパパ・ママであるということで、やはり互いを「パパ」「ママ」と呼び合うケースがままあります。そのようなカップルを見ていると、日本人は互いをオス・メスとして見続けることがどうにも恥ずかしく、子供なりペットなり、何らかの仲介役を通さずにはいられないのかもしれない、と思います。
「パパ」「ママ」と呼び合う夫婦を見ていると、「セックスレスにもなるわな」と、私は思うのでした。日本では、多くの夫婦がセックスレスだと言いますが、セックスの途中、興奮が高まって相手のことを呼びたくなった時、脳裏に浮かぶのが「パパ」「ママ」だったら、一気にその興奮は萎えましょう。と言うよりそもそも、「パパ」や「ママ」を相手に性的な興奮を覚えることの方が難しかろう。セックスレスの理由として、
「家族とセックスなんてできない」
 と言う人がいますが、「パパ」「ママ」とは確かにできないよね、と思う。
 思い返してみれば、私の生育家族でも、夫婦の呼び方が「体」を表していた気がしてきました。我々きょうだいは、親のことを「お父さん」「お母さん」と呼んでおりました。家族の中で最も年少のメンバーは私ですから、私から見た時の呼び名、すなわち兄は親からも「お兄ちゃん」と呼ばれ、祖母は「おばあちゃん」と呼ばれていたのです。
 では両親の間で「お父さん」「お母さん」と呼び合っていたかというと、これが少し変則的でした。母は父のことを「お父さん」と呼んでいたのですが、父は母のことを「ヨーコ」と、名前で呼んでいたのです。
 友達のご両親達はたいてい、「パパ」「ママ」もしくは「お父さん」「お母さん」と呼び合っていました。ですから自分の父が母のことを「ヨーコ」と言うことには、ちょっとした違和感を覚えていた私。それは、父親が母親のことを「女」として扱っているという意味での生々しさに対する違和感、だったと思うのですが。
 一般の家庭では、父親と母親は実はオスとメスなのである、という事実を子供から隠すために、「パパ」「ママ」もしくは「お父さん」「お母さん」と呼び合っていたのかもしれません。男と女ではなく、父親と母親という役割しか持っていないかのように。
 しかしなぜか我が父は、家庭内でも母を女として扱っていました。そこだけ西洋風にしたかったのかもしれませんし、本当に母を女として見ていたのかもしれないのですが、その真相は今となってはわからない。
 母が同じように父のことを名前で呼んでいれば、両者のバランスは取れたのでしょう。「子供よりも、夫婦の愛が何より大切」という家庭の様式も、あるのですし。
 しかし母は父のことを、「お父さん」と呼んでいました。父は母を家庭の中でも女として見ていたのに、母は父のことを男としてではなく、「子供のお父さん」と見ていた、という非対称性がそこにはあります。
 我が母が色々と奔放なタイプであったことは以前も記しましたが、その事実は呼び方の非対称性に表れていたのではないかと、今となって私は思うのです。家庭外で奔放に「女」だった母は、子供の父親のことを「男」としては見ることができず、だからこその「お父さん」だった‥‥。
 子供を持った夫婦が、互いのことを「パパ」「ママ」と呼び合う傾向は、これからも続くのでしょうか。私は、キラキラした名前を持ち、子供の頃から下の名前で呼ばれ続けている人達が子供を持つことによって変化が見られるのではないか、という気がしています。
 今の若者達を見ていると、言葉遣いも男女でほとんど変わらず、互いを下の名前で呼び捨てにすることにも、全く躊躇がないようです。「サザエさん」において、波平なみへいはフネにタメグチでしたが、フネは波平に敬語でした。若い世代のサザエとマスオは互いにタメグチで話しており、世代による変化を感じたものです。
 が、マスオはサザエのことを「サザエ」と呼び捨てだったのに対して(「ママ」と呼んではいなかった)、サザエはマスオのことを「マスオさん」と、さんづけで呼んでいたのです。波平・フネ夫妻とマスオ・サザエ夫妻の間で男女の高低差は縮まったものの、完全にフラットではありませんでした。
 私の世代くらいですと、たとえば同級生男子を全員、平等に呼び捨てにできるかといったら、そうではなかった気がします。私の場合は、親しかったり、ちょっと舐めてる男子のことは呼び捨てにできたけれど、そうではない人に対しては「◯◯くん」と言っていたような。
 しかし今の子達からは既に、そういった男女間の垣根は取り払われているのではないでしょうか。
「ユウキー、腹減った」
 と彼女が彼に言っても、恋は醒めない模様。
そしてそんなフラットな関係の二人が結婚して子供をつくったなら、子供を介した呼び方などせず、妻はずっと、
「ユウキー、腹減った」
 と、フラットに言い続けられるのではないか。
 セックスレスが悪いことなのかどうかはわかりませんが、しかし夫婦がセックスをしないと子供はできません。少子化解消のためにも、「パパ・ママ問題」は解消を目指した方が、よいのかもしれませんね。

※この連載は、集英社学芸編集部ウェブサイトに掲載された「パパ愛してる」「火宅」「心配」「家事」の4章(現在サイト上で読むことはできません)とあわせて、加筆修正の上、2019年前半に単行本化の予定です。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。広告会社勤務を経て執筆専業。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。著書に『おばさん未満』『男尊女子』『女子と鉄道』『源氏姉妹』『an・anの噓』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』など、現代世相の分析から古典エッセイまで多数。

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