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トリュフには関わらない

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 前にも書いたように、高級な店だから、料理の価格が高いからといって、それが自分の満足と正比例するわけではない。私が食べ物に執着がないからかもしれないし、味がわからないのかもしれないが、になるまで生きてきて、まったく理解できない食べ物が、トリュフである。しかし世の中ではキャビア、フォアグラと共に、世界の三大珍味といわれている。キャビアもフォアグラも、食べると、
「ああ、そうなのね」
 とは思うが、
「めちゃくちゃおいしいーっ」
 といいたくなるものではない。畑のキャビアと呼ばれている、とんぶりを食べたときは、
「さすがにキャビアとは違う」
 と思ったが、あらためてキャビアに対しての感動はなかった。ぷちぷちが食べたいのだったら、別にとんぶりでもよかった。フォアグラもねっとりしていて、私にとっては特においしいものでもない。それよりもガチョウやアヒルに苦しい思いをさせて、そのあげくがこれ、というところもあり、特に世の中になくてもいいと感じた。そして三点のなかでいちばん理解できないのが、トリュフなのである。
 最初にトリュフを食べたのは、社会人になってからだった。それまでにキャビアとフォアグラは食べていた。まだ食べていなかったのがトリュフだったのだが、たしかコースの中のパスタの上に、スライスされたものがのっかっていたのがはじめてだった。
楽しみに食べたのに私には味がしなかった。香りもそれほど感じなかった。とにかく、
「何だ、これ」
 が正直な感想だった。どこが珍重されるのかと首を傾げた。キノコ自体の味だったら、日本のキノコ類のほうがよっぽど味があっておいしい。しいたけで出汁をとるくらいだから滋味がある。しかしトリュフはぱっさぱさで味がなく、木のかさぶたのようだった。なぜこれが世界三大珍味なのか、さっぱりわからなかった。たしかにブタさんが匂いを察知して、採ることができるという話は、珍味にふさわしいけれど、実はボーダーコリーやトイプードルのような犬も探すのだそうだ。どちらにしてもおいしくなかったら意味がないような気がする。
 その後、仕事でハワイに行ったとき、帰りの飛行機に乗る直前に食事をしたレストランが、トリュフ大盤振る舞いが売りの店だった。テーブルに地元の二人の女性がついてくれて、それぞれが右手にはトリュフを持ち、左手にはスライサーを持っている。そしてテーブルの横の壁にじっと待機しているのだった。そして料理が運ばれるたびに、それがサラダであってもメインであっても、テーブルに皿が並べられたとたんに、彼女たちがものすごい勢いでやってきて、トリュフが必要か否かを聞くのである。その彼女たちの目つきは、
「絶対にノーとはいわせない」
 という気迫に満ち満ちていて、確実に「ノー」とはいえない雰囲気になっていた。その結果、運ばれてくる皿の上は、トリュフが山盛りになった。トリュフのよさがわからない私は、口の中がもそもそするだけで特に感動もなく、飛行機の出発時間に間に合うだろうかと、そればかりを考えていた。
 その後、こちらも仕事でイタリアに行ったときの、ポルチーニ茸はおいしかった。帰国してポルチーニのパスタを作ろうと買いに行ったら、ものすごい値段にびっくりして買わなかった。でもおいしかったので家でも食べたいなとは今も思う。トリュフは思わない。
 五時間かけて期待外れの蕎麦を食べなくてはならなかった友人は、自分でもせっせと料理を作る。あるとき、
「トリュフオイルをサラダにかけるとおいしい」
 と教えてもらった。トリュフは苦手だが、またトリュフオイルとなったら、風味も違うのかと、それなりのスーパーマーケットに行って小瓶を買ってきた。なかなかの値段だった。そしてすぐには使わず、ひと月ほどして蓋を開けたとたんに強い香りがした。それがペンキの匂いだったのである。もちろん賞味期限は守っている。
「トリュフオイルってペンキの匂いだったの?」
 とびっくりして、そのまま使うのをやめてしまった。はじめてだったので、それが本来の香りなのか、それとも変質していたのかはわからない。しかしトリュフが珍味とされているのだから、やや上等なオイルとして用いられるのではないか。それまでトリュフ自体に味も香りも感じなかったので、それが突然、ペンキになったので驚いたのだ。
 それ以来、私はトリュフには関わらないようにしている。トリュフに対しては興味がないので、他のトリュフオイルを購入して比べてみるということもしなかった。会食の際に使われていれば、ありがたくいただくが、感想は同じである。手元にある三冊の辞書でそれぞれ「珍味」を調べたら、「めったに味わえない、おいしいごちそう」「めったに食べられない、変わった味(の食べ物)」「めずらしくて、おいしい食べ物」とあった。おいしいという表記がないのは一冊だけだったが、やはり珍味にはおいしいという感覚が伴わなくてはならないのではないか。私はトリュフチョコは好きだが、七十歳になっても、まったくトリュフのよさがわからない。きっとこの先もわからないだろう。

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次回は3月12日(水)公開予定です。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』『雑草と恋愛 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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