よみタイ

母の無水鍋

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 今も様々な機能がある鍋が売られていて、とても高価だったりする。なかには届くまで何か月も待つものもあるらしい。私としては食べたいメニューをインプットしたら、具材もすべて空間を超えて調達してくれて、あっという間にできあがる魔法の鍋があればいいのにと思っている。無水鍋で大喜びしていた時代には、家庭用の電子レンジが発売されるなんて想像もしていなかっただろう。母親は無水鍋にはとびついたが、電子レンジは高価だったこともあったのか、無水鍋ほど興味を持たなかった。御飯の温めには蒸し器があるし、使っていた炊飯器に保温機能があったし、酒の燗がすぐできるといっても、うちでは誰も飲酒をしなかったので、必要がないと判断したのだろう。
 後のことは知らないが、少なくとも私が実家を出てひとり暮らしをはじめた二十四歳まで、うちには電子レンジはなかった。彼女は料理好きで手をかけることをいとわなかったため、手間がかかることでも自分でやればよいと考えていたのに違いない。私も近年、はじめて電子レンジを購入したが、ひと月に一度、使うか使わないかである。買わなくてもよかったかなと思ったけれど、豆腐の水切りなど、下ごしらえのときに時間が短縮できるので、その点は助かっている。
 無水鍋を喜んで使っていた頃の母親の料理情報は、雑誌、近所の奥さんたちからの口コミ、テレビの料理番組くらいだった。近所の料理教室に通っていた人からのものもあったかもしれない。情報を得る媒体は限られていたし、料理の味付けは母から娘へと受け継がれ、結婚後は相手の味覚とすりあわせて、また新しい味覚の基準ができた。雑誌や料理番組意外のものは、生活のなかのごく狭い範囲で伝えられていた。それでもみんな問題なく、きちんと食事を摂って暮らしていた。
 しかし今はインターネット、SNSを使えば、世界中の情報が集められる。そんな世の中が来るとは想像もしていなかった。といっても当時からは軽く六十年以上は経っているから当たり前なのかもしれない。当時ははやりのものといっても、年単位で広まっていったような気がするが、最近は秒で流行が終わるような感覚だ。タピオカティーの店の前に長蛇の列ができることなんて、今はほとんどないのではないだろうか。これまでパフェ、マリトッツォ、プリン・ア・ラ・モード、ロールケーキ、バスクチーズケーキ、マカロン、トゥンカロン、カヌレや、季節のフルーツを使ったスイーツなどが華々しく紹介されてきた。そのときは盛り上がるがブームはすぐに終わって落ち着いた。ただ少し中身を変えるとまた再びよみがえるらしく、抹茶もそうだし、サツマイモも人気があるので、それらを加えたスイーツの売れ行きがいいと聞いた。店も同じで、どの店もずっと流行り続けているわけではなく、閉店してしまったところも多い。次から次へと新しいスイーツや飲食店、まだ知られていない店を日本全国から掘り出して、テレビで紹介する。もちろんすべてがおいしいわけではないだろうが、レポーターの噓か本当かわからない、
「おいしい」
 の連呼で盛り上げるのだ。
 そういう情報を知りたがっている人たちにはいいかもしれないけれど、今の世の中を見ていると、人がやたらと浮き足立っていて、とにかくたくさんの情報を得ようとばたばたしている。それに首を突っ込まないと取り残されたり、遅れていたりしているかのように錯覚する。
「もうちょっと落ち着いたら」
 といいたくなる。
 連日、あふれるような食べ物情報が身の回りにあり、それをいくらでも自分の生活にかせる方法があるのに、人々の実際の食生活はとても貧しい。品数、値段などの意味ではなく、心から楽しんで食べるという気持ちがない。ストレス発散のためのスイーツはそうかもしれないが、日常の御飯がどうなのかは怪しい。
 私は料理が好きなほうではないが自炊を続けている。自分が作ったものは残さず食べ、よく作ったと毎回、自分を褒める。とてもじゃないけれどSNSに上げられるようなものではなく、他人から見たらえっと思われる代物かもしれないが、それでいいのである。自分がその日、そのときできたのはその程度だったのだから、毎食、納得して食べている。
 今は毎日、過剰といいたくなるほど食べ物関連の情報があふれている。なかには手作りの食の参考にしている人もいるだろうが、そうではない人のほうが多いような気がする。新しい情報ばかりを探し、現実の大量の残飯問題は見ないことにして、主食の米が買えないとあわてる。日本の食はいったいどうなっているのだろうか。明らかに変だしどこか間違っている。一度、それぞれが基本的に「食べることとは何か」を考えないと、この先、とんでもないことになるのではないかと、心配になってくるのだ。

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本連載は今回で終了です。
ご愛読いただきありがとうございました。
書籍は今秋11月発売予定です。
どうぞお楽しみに!

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』『雑草と恋愛 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』『捨てたい人捨てたくない人』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 平林たい子伝』など著書多数。

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