2024.7.10
四十六年間のひとり暮らしと自炊
群ようこさんが小説の中で描く食べ物は、文面から美味しさが伝わってきます。
調理師の母のもとに育ち、今も健康的な食生活を心がける群さんの、幼少期から現在に至るまでの「食」をめぐるエッセイです。
イラスト/佐々木一澄
ちゃぶ台ぐるぐる 第7回 四十六年間のひとり暮らしと自炊
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二十四歳からひとり暮らしをはじめて、今年で四十六年になるのだけれど、基本的にずーっと自炊である。三十歳で会社をやめる直前には、書く仕事も増えてきていた。アパートに帰って、深夜から早朝にかけて仕事をしていたので、晩御飯を作る時間がとれない。会社の帰りに、当時は井の頭通り沿いにあった、三浦屋でお弁当を買って、それで済ませていた。
そんな中食がほとんどだったが、少し時間ができると料理を作っていた。もともと料理は嫌いなのに、栄養バランスを考えると自分で作るしかなく、仕方なくやっていたのである。実家にいるときは、栄養士、調理師の免許を持っている母が、どんなに忙しくても毎日、料理を作ってくれ、私は手伝いも頼まれなかったため、食べることだけに専念していた。母は調理を手伝ってもらうよりも、私たちの感想を欲しがっていたようだ。
実家には二、三冊の料理本と、母が新聞の料理記事などを切り抜いた、スクラップブックが数冊あった。開いてみると、食材や調味料の分量がとても細かく書いてあり、それを見ただけでうんざりした。私は本を読むのは好きだが、そのような手順が細かく書いてあるものは、読むのが面倒くさくて、すぐに目が拒否した。ただでさえ料理を作るのは荷が重いのに、いちいち大さじの半分だの小さじ1だのと、細かく書いてあるのを見ると、
「そんなのどうでもいいじゃないか。自分で食べておいしければ」
といいたくなった。
母を見ているとほとんど計量カップや計量スプーンなどを使わないので、
「料理の本はあまりに細かすぎる」
と食材、調味料の量り方の細かさや、手順の書き方に文句をいうと、
「基準がないと、味付けをどうしていいかわからないでしょう。面倒くさいと思っても、一度、書いてあるとおりに作ってみて、塩味が強いとか甘すぎるとか感じたら、好みに味付けを変えればいいのよ」
といわれた。なるほどと納得はしたが、読みたくない細かい数字や調理工程は、やっぱり読む気はおこらず、食材と調味料をにらんで、頭の中で、こんな味とイメージすると、おもむろに作りはじめた。もちろんほとんど失敗した。面倒くさいので、どこをどう失敗したかも検証せず、
「あーあ、だから料理はいやなんだ」
とふてくされていた。
しかし実家を出てひとり暮らしとなると、いやだ下手だといっても、自分で作らなくてはならない。そこで書店に行って、中とじの薄い、お総菜の本を買ってきた。グラフ社のマイライフシリーズのうちの一冊で、著者は村上昭子さん、までは覚えているが、書名は忘れてしまった。ひとり暮らし用の料理本ではないので、半分、四分の一の量にして片っ端から作ってみた。余った分は冷蔵庫で保存して、翌日分である。これならば私にもできそうという気持ちにさせてくれる本だった。
内容は基本的な家庭料理だったが、こんな私が作っても、それなりにおいしくできて、本がぼろぼろになるまで愛用した。砂糖を使いたくなかったので、煮物の場合は、出汁と醬油とみりんがあれば、何とかなるとわかった。
自炊で大切なのは一回きりではなく、料理の習慣をつないでいくことだと思うので、この本のおかげで私は自炊の習慣を作ることができた。煮物の材料を最初は揃えて購入したが、残る食材もある。一回目を作り終わると、二回目には余った食材に新たな食材を足して料理を作る。そして三回目はまた食材を足して……というふうにしていけば、自炊は続けられるのである。
私は毎食、違うジャンルの料理を食べたいとは思わず、同じものを続けて食べても平気なので、その点はよかったかもしれない。四人分の鶏肉と野菜の薄味の煮物を作り、それを基点にして、次は足りない野菜や食材を加えていくうち、最終形はだいたいカレーかシチューになった。
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