2024.6.12
お弁当箱の蓋をあける瞬間
群ようこさんが小説の中で描く食べ物は、文面から美味しさが伝わってきます。
調理師の母のもとに育ち、今も健康的な食生活を心がける群さんの、幼少期から現在に至るまでの「食」をめぐるエッセイです。
イラスト/佐々木一澄
ちゃぶ台ぐるぐる 第6回 お弁当箱の蓋をあける瞬間
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私は御飯、おかずがそれぞれ器に盛られて出されるよりも、箱のなかにまとめてお弁当として出されたほうが、ちょっとテンションがあがる。お弁当と聞くだけで、胸が躍るのである。バスケットに入れられた、サンドイッチなどの洋食ものには、あまり関心がないのだが、和食のお弁当には興味がそそられる。お弁当箱も千差万別で、それもまた楽しいのだ。
松花堂弁当のカラー写真をはじめて目にしたのは、小学校低学年のときだった。黒塗りの正方形が九つに分けられたなかに詰められた、型抜きされた御飯や、きれいな色とりどりのおかずを見て、何てきれいなんだと感激した覚えがある。まだ弟が生まれる前、家族三人で出かけたとき、母が三段の小さな塗りのお重におにぎり、いなり寿司、おかずを詰めて、それを私が外で食べている写真が何枚か残っている。その朱塗りに松葉の柄の重箱も好きだった。
母の作るおにぎりは、たまに三角形のときもあったが、ほとんどが小ぶりな俵型だった。海苔が腹巻きのように巻かれていて、私は三角形よりも、俵型のほうが好きだった。三角形は手で持つのに最適だが、俵型は箸を使わないと食べるのが難しい。しかしそのほうが平らになってスペースを取らず、弁当箱に入れるのに都合がよかったのかもしれない。
高校生のときは、学校に学食がなかったので、毎日、お弁当を持っていっていた。女子はお弁当だけだが、男子はお弁当プラス、購買部で仕入れている菓子パンや総菜パンを買っていた。おにぎりだけを持ってくるのは、全員男子だった。プラスチック容器におにぎりを寝かせた状態で持ってくる子もいれば、経木に包んで持ってくる子もいた。私は口には出さなかったけれど、おにぎりには経木がぴったりだなと思っていた。
当時は『おにぎらず』はなかったから、どのおにぎりもしっかり握ってあった。みんな他の子が持ってきたお弁当が気になるので、お互いにのぞきこんでは確認していた。なかにはクラス全員のお弁当をのぞき込んで、「んー、野菜が少ない」「これはうまそう」「もうちょっとおかずが欲しい」などと感想を述べる弁当評論家男子もいて、みんなからいやがられていた。お弁当に対してマイナスなことをいわれると、作ってくれた親の悪口をいわれているような気持ちになった。そんな弁当評論家の彼が持ってくるお弁当は、シンプルなおかかと梅干しのおにぎりだった。大きめの三角形で、全体がしっかりと海苔で包まれていて、黒光りしていた。それと購買部で買った焼きそばパンを食べるのが定番だったらしい。
彼がクラスでいちばんと評価したのは、学級委員長が持ってきていた、厚焼き卵、ウインナー、豚肉とホウレンソウの炒め物、ミニハンバーグ、そしてポテトサラダとレタスとトマトを別の容器に入れたお弁当だった。みんなでわーっと集まって見に行くと、委員長は、
「やめてくれよう」
と顔を赤くしていたが、ちょっとうれしそうだった。なかには、
「おかずをちょっとくれ」
などといい出す子もいて、毎日のお弁当の時間は大騒ぎだった。
同級生が持ってくるおにぎりの具は、おかか、梅干し、鮭、昆布、たらこ、くらいのものだった。ツナマヨも、スジコも、肉もなかった。辛子明太子の存在も知らなかった。当時はまだ地方の一部の食文化しか、知られていなかったのである。おにぎりには、たくあんや、それぞれの家庭で漬けた漬物が二切れほど添えられていたり、なかにはきゃらぶきという渋いものを持ってきたりした子もいた。
「それ、じいちゃんの食い物だろ」
弁当評論家にいわれた男子は、
「そうなんだよ、大工のじいちゃんが大好きだから、おれのにも入れるんだよ。別のにしてくれっていっても、面倒くさいっていわれてさあ」
と自分が好んで持ってきたのではないのを強調していた。
当時は子どもの意見よりも大人の意見を優先していたので、大人のお弁当と子どものお弁当の差はあまりなかった。しいていえば子どものお弁当には奈良漬けはなく、そのかわりにウサギ形にカットされたリンゴが添えられていたくらいだろうか。今と比べれば、遥かに地味なお弁当が多かった。それでも私たちは満足していたのである。
私が好きだったお弁当は、二段の御飯の間に醬油で味をつけたおかかと海苔が敷いてあり、おかずには鶏の唐揚げと、ピーマンをくたくたに炒め煮したもの、卵とシラスの炒り卵の三種類が入ったものだった。間に桜でんぶが敷いてある、二段の御飯も好きだったが、これよりも作るのに手間がかかる、海苔を腹巻きにした俵型の小さなおにぎりが入っていると、よりうれしかった。
唐揚げといっても衣が分厚くなく、一個の大きさも売られているものの半分ほどだった。作っているのをのぞくと、フライパンにほんの少しの油を入れて揚げていたので、小さいほうが具合がよかったのだろう。母は料理上手だったので、私がお弁当に対して注文をつけることはなかった。朝に作った、お弁当に詰めたおかずの残りを、夜に食べた記憶はあるが、前日の夜に作った残り物のおかずが入っていたことはない。いちおう衛生面も気にしてくれていたのだろう。
私は四十代の四年間、住まいとは別に歩いて二、三分ほどのところに仕事場を借りていた。タイミング悪く、母と弟が勝手に家を購入してしまい、あっという間に私の貯金がなくなって、困窮してしまった。それまでは近所のオーガニックショップに行って、そこでお弁当や軽食を買い、仕事場で食べていたのだけれど、金欠になったので、朝ご飯を作るついでにお弁当も作って、仕事場に持っていくようになった。
そのときに思ったのは、お弁当は自分で作っても楽しくもうれしくもないということだった。中身を全部知っているので、蓋を開けて、
「わあっ」
という喜びがない。味見もしているから、味もわかっている。喜びというよりも、ああ、やっぱりなという気持ちのほうが強い。つまらないのである。お弁当は蓋を開けたときの驚きが、よりおいしさを倍増させるのだ。
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