2024.5.8
行列に並べる人
群ようこさんが小説の中で描く食べ物は、文面から美味しさが伝わってきます。
調理師の母のもとに育ち、今も健康的な食生活を心がける群さんの、幼少期から現在に至るまでの「食」をめぐるエッセイです。
イラスト/佐々木一澄
ちゃぶ台ぐるぐる 第5回 行列に並べる人
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デパートに行く用事といったら、年に二、三回、着物の手入れや直しを依頼しに行く程度なのだが、その際、地下道を歩いていくので、入り口がデパ地下に通じている。足を踏み入れると、広いフロアいっぱいに、ありとあらゆる食べ物が並んでいる。食欲の集大成の場といってもいい。行くたびに驚くのは、開店三分後でも、すでに二、三十人の行列ができている店舗が複数あることだ。並んでいる人たちを見るたびに、
(この人たちは、いったい何時に来たのだろうか)
と不思議でならない。
開店前からドアの前で待機していて、開店と同時に店内に突っ込んで、全速力で売り場に走って並んだとしか思えない。それほどまでして買いたいものとはいったい何だろうかと、行列のある店舗を見てみたら、和菓子、洋菓子店だった。原材料を厳選しているとか、作るのに時間がかかるとか、大量生産ができないとかの理由があり、一日の販売量に限りがあるのかもしれない。しかし私が年に何回かしか行かないのに、そのたびに大行列になっているのを見ると、毎朝、こうなのだろうなあと想像するしかないのだ。
おまけにデパ地下には、なんでこんなに朝っぱらから人がたくさんいるのかと、驚かされる。地下鉄各駅の出口に通じているので、電車に乗るために通り抜けるだけの人もいるだろうが、出入り口に向かっている人よりも、明らかにぐるぐると店内を巡っている人のほうが多い。
洋菓子の売り場は、まるで宝石を売っているかのように彩りが美しいし、個々の店のディスプレイも凝っているので、見ているのが楽しいのもよくわかる。そして最近は和菓子店にも、多くの人が並ぶようになった。和菓子好きの私には、うれしい傾向ではあるのだが、あまりの長蛇の列を見ると、
「いったいみなさん、何をお買い求めになるのでしょうか」
と聞きたくなる。
あるとき、私がデパートでの行列を目撃した、販売とほぼ同時に売り切れるという噂の、大人気のお菓子を、友だちの家でいただいた。彼女も知り合いから、
「なかなか手に入らないから」
といわれて、もらったものだという。私も行列のすごさを知っているので、
「ああ、これが」
としげしげと眺めつつ食べた。おいしかったけれど、ひとつが小さいながらも、しっかりとした濃厚な味なので、私には何個も続けて食べられるようなものではなかった。そう友だちに感想を話したら、
「そうでしょう。でもこれをくれた人はね、十個くらいだったら、あっという間に食べちゃうっていうの」
という。
「へえ、若い人はそうなのね」
「違うの。もうすぐ還暦の人なのよ」
自分の還暦の頃を思い出してみても、とてもじゃないけど、このお菓子十個を完食できる自信はない。
私の人生で、甘い物を一度にたくさん食べた記録は大福餅六個だったが、その直後に体調を崩したので、過剰摂取だったのは間違いない。そして今は週に一度、茶道の稽古でお菓子をいただく以外は、甘い物はほとんど食べなくなった。酷暑だった去年も、会食でデザートとして提供されたアイスクリームを、二度ほど食べたけれど、自分ではアイスクリームやシャーベットの類いは一度も買わなかった。それほど甘い物を欲しなくなってきたのだろう。
その、いつも行列ができているお菓子の話を知人にしたら、彼女が、
「私はまだ食べたことがないんですけれど、ものすごく話題になっていますよね。この間も空港で……」
と聞かせてくれたのは、国内線の空港ラウンジでの話だった。彼女が椅子に座って搭乗案内を待っていると、母娘がやってきてそばに座った。するとその二人は、最初から最後まで、ずーっとそのお菓子の話をしていたというのだ。
「どのくらいの時間だったんですか」
「三十分以上はあったと思います。とにかく○○さんも××さんも食べたっていっていたとか、中にはこういったものが入っていて、ものすごくおいしいらしい、だけど販売したらすぐに売り切れるみたいだし、簡単には手に入らないからどうしたらいいのか、っていうようなことを、延々といっているんです」
彼女は二人の会話を聞きながら、こんなに話題になるくらいだから、あのお菓子はやっぱり大人気なのだと思いながら搭乗したら、その母娘と席が隣り合わせになった。すると機内でも二人は、延々とそのお菓子について話し続け、結局、羽田空港に到着するまでの一時間四十分の間、交わしていた会話はそのお菓子についてだけだったというのだ。
「窓からの景色がきれいとか、天気の話とか、朝のニュースや大谷翔平の話とかはなかったの」
「そういう話は、一切、出ませんでした。とにかく自分たちは、あのお菓子が手に入らないのに、周囲には食べた人がいるという、うらやましさがにじみ出ている会話に終始していました」
特定のお菓子の話だけで二時間以上も会話が続く母娘は、共通の話題があって仲がいいのかもしれないが、
「他に話すことはないのか?」
と思ったのも正直な気持ちである。
彼女たちからすれば、「夢にまで見るお菓子」なのだろう。それだけ熱意が続いているのは素晴らしい。いつか二人が食べられる日が来るのだろうか、そうなったら二人はどうなるのだろうかと想像した。そんなに買えないものかと、メーカーのサイトを探したら、オンラインショップがあった。しかし入り数の多いパッケージのものは入荷待ちになっていた。そして何でも売っている大規模通販サイトでも、そのお菓子が、メーカーではない販売元から売られていた。値段は定価の約二倍だ。
「いったい売っているあなたはどなた?」
である。それでも買って喜んでいる人がいるのは問題だろう。
母娘はあまりに憧れすぎて、食べたとたんに予想とは違っていて、今までの熱が冷めてしまうかもしれない。その反対にあまりのおいしさに、より興奮が高まり、また入手するのに必死になるかもしれない。私が食べた感想としては、出されたらいただくけれど、一個で十分だった。こんなふうに執着がない私よりも、このようなとにかく食べたい! と願う人たちに食べてもらったほうが、お菓子も幸せなのだろう。私は何の苦労もなく、それも特に執着もなく淡々と、
「ちょっと濃厚ね」
といいながら食べてしまったのが申し訳なくなってきた。
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