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病院でアートフェスティバル!? 精神科医療のイメージを変える取り組みとは@茨城県袋田病院【後編】

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あべさんは療養棟(旧棟)に残されている1977年頃に建てられた鉄格子型の隔離室(現在は使われていない)でもインスタレーションを制作し、その途中過程を公開していた。

1980年代まで、日本の精神医療には効果的な治療薬がなく、精神衛生法のもとで隔離施策を意味する治療が行われていた。治療薬の発展とともに法律が変わり、精神疾患におけるリハビリテーションは拡大したが、‟暗く” ‟閉鎖的な”というイメージは療養者の人生に暗い影を残し続けている。

あべさんは数年前にこの隔離室を見学していた。「入った瞬間に重たい空気を感じるとともに、患者さんが扉に描いたと思われるスキーの絵が目に入ってきて、驚きと同時に想像を掻き立てられた」と話す。

隔離室は現在は「保護室」という名称で、精神保健指定医の指示のもと、心身の保護を目的に一時的に使用されている。以前と異なり、鉄格子のない簡素な個室である。
使用者のなかには「社会のストレスと離れられて安心できた」という声もある。「関係者に保護室の実体験を取材すると、映画や文献などから想像される陰湿なイメージとはまた異なりました。一般社会では話すことさえタブーになっていますが、困難な状況の中、人が一人の人間として何を思い、どう生きているのか、丁寧に探り、作品を通して当事者の心の声を社会に届けたいと考えています」と、あべさんは語る。

隔離室でのインスタレーション 提供/あべさやか
隔離室でのインスタレーション 提供/あべさやか

あべさんは手紙や絵を通じてコミュニケーションを続けている患者さんから「保護室にいるとき、歯磨き粉で白い花を描いた」と聞いていた。彼女が保護室の中で何を思い、感じた世界はどんなだったのかを知りたいと思い、この夏の滞在中も一緒に絵を描きながら話した。
その中から見えてきた彼女の世界を、劇場型のインスタレーションで表現し、360度カメラで撮影。架空のキャラクターが語る舞台劇のような体感型作品として制作を続けている。

インスタレーション以前の隔離室も見学している筆者は、布の使い方ひとつで空間を変えるあべさんのさりげない技術に感嘆させられた。
また、あべさんが交流を続ける女性のポートレイトには、根源的な「生きる力」が感じられる。どんな状況でも描こうとする力、想像力を捨てずに目の前の環境を描き換える、あるいは内なる目で見方を変える。彼女はアートという生きる術を手にしているのではないだろうか。

あべさやかさんが交流を続けている女性のポートレイト(制作中) 提供/あべさやか
あべさやかさんが交流を続けている女性のポートレイト(制作中) 提供/あべさやか

2015年のアートフェスタで、この隔離室を公開するか否か、職員間で議論があったそうだ。そのとき公開に踏み切ったことで、現在多くの人が実際に知見を得る機会を持てている。

他にも精神科病棟の歴史の痕跡として、療養棟の通路の壁に患者さんが空けた穴をフレームで囲い、中に絵を吊るした作品もある。最初はドキッとするが、次第に壁を殴った拳の痛みが伝わってくる。
悔しさ、怒り、どうしようもない無念さ。その現場に立ち会った職員の胸も痛んだのではないだろうか。このような精神科医療が通ってきた道を隠蔽するのではなく公開する姿勢に誠実さを感じる。精神医療に限らず、歴史を見つめることなしに明日からの生き方は考えられないと思う。

アートが病院にあることで見える景色が変わる

渡邉さんはアートを精神科医療に取り入れる理由についてこう語る。「誰にとっても闘病は辛く大変なものです。毎日がグレーに見えてくる中、この病院で画材の色彩に囲まれ、自分の中に沸き起こったものを絵や言葉に置き換える体験をする。作りたいという気持ちに直結しなくても、誰かが作る様子を見ているだけでもいい。
一緒に見たもの、作ったものを共有することで、見える景色が変わることがある。そうすると、治療を受ける側も提供する側も、アートを介して自他を知る場面に遭遇する。それが、袋田病院でこそできた特別な経験と記憶してもらえたら、その先の生き方にプラスの影響を与えるかもしれない」。

渡邉さんの言葉に共感しながらも、「アートは楽しさや喜びだけでなく苦悩も連れてくるのではないか」と問うと、渡邉さんは「それも人間がいて動いているということだと思う」と答えてくれた。
「(効率ではなく)その人の生きるペース、尺度に合わせる。そのような観点に立つことで、医療のバリエーションも増えるのではないかと思っています」。

作業療法士(OT)が制作した「森のOT」。散策コースになっている 撮影/筆者
作業療法士(OT)が制作した「森のOT」。散策コースになっている 撮影/筆者
袋田病院と連携し、制作者の活動記録を目的としたアーカイブを行う ROKUROKURIN合同会社の展示より 撮影/筆者
袋田病院と連携し、制作者の活動記録を目的としたアーカイブを行う ROKUROKURIN合同会社の展示より 撮影/筆者

また、アートフェスタの歴史は地域の歴史とも重なっている。
2019年、大子町で台風19号による甚大な被害があり、職員から「こんな時にアートフェスタをやるなんて」と反対意見が出たこともあった。話し合いの末、「誰もが後片付けに追われる中で、この時間だけ楽しんで、お互いの安否を確認して、またここから頑張ろうねという日があっていいんじゃないか」と開催に至った。
終了後、まちの人から「苦しむ隣の人に声をかける言葉が見つからず、思いはあっても手伝えなかった。その代わりにアートフェスタをお手伝いできることで、自分も救われた気がする」「今まで暗い気持ちにしかなれなかったけど、前を向くきっかけをもらえた」という声もあったそうだ。
若者からファミリー、年輩者まで幅広い層が訪れるのには積み重ねがあるからだろう。

さらにアートフェスタを視察した他の医療・福祉・アート施設も何か新しいことに挑戦し、ネットワークができれば、社会を変える力にもなるかもしれない。
渡邉さんは「アートが病院にあるといいよって伝えたいですね」と笑顔を見せた。

次回は1月9日(金)公開予定です

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白坂由里

しらさか・ゆり●アートライター。『WEEKLYぴあ』編集部を経て、1997年に独立。美術を体験する鑑賞者の変化に関心があり、主に美術館の教育普及、地域やケアにまつわるアートプロジェクトなどを取材。現在、仕事とアートには全く関心のない母親の介護とのはざまで奮闘する日々を送る。介護を通して得た経験や、ケアをする側の視点、気持ちを交えながら本連載を執筆。

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