2025.6.15
ヴィンテージマンションの総会がまるで日曜劇場! 臨場感がヤバすぎるノンフィクションの作り方【新庄耕×栗田シメイ対談】
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旧理事長はなぜ暴走したのか?
栗田 新庄さんの『地面師たち』は、実在の詐欺事件を元ネタにした創作ですが、要所要所での細かいディテールが白眉でした。とりわけ土地の売買契約を結ぶ場面は、企業側の行政書士との細かいやり取りがリアルだなと。巻末には、不動産業者や司法書士などへの謝辞も綴られていましたが、かなり多方面に取材されたのですか。
新庄 今作では取材も多かった一方、専門的になりすぎると面白みに欠けてしまうので、事実と創作のバランス感をかなり意識しました。
執筆段階では、監修や取材での話を事細かに書いていたのですが、編集でかなり文量を削りました。個人的に完璧主義なきらいがあるので、瑣末な描写でも事実と一致していないと気が済まなかったり、創作で膨らませたいけど整合性が取れないから葛藤したりと、執筆には割と時間を要しました。
栗田 新庄さんはあくまでノンフィクションではなく、事件を題材にした創作を書きたいのでしょうか。
新庄 どちらかと言えば、沢木耕太郎さんの紀行文学や、吉村昭さんの歴史小説など、いわゆるノンフィクションノベルに近い作風が好みです。
もともと父親は報道の人間で、私自身も過去に新聞媒体でアルバイトをしていたので、ジャーナリズムに近いところにいました。ただ一方で、報道現場に対する違和感もあったんです。例えば、身を粉にして記者がネタを取って来ても、14版(最終版)で全替えされる事が多々あるじゃないですか。ボロ雑巾になるまで働かされて、結局はなにが残るんだろうと傍目で感じていたんです。
インターネットの普及により誰もが情報発信者になれる時代では、社会問題をあぶり出して終わりにするのではなく、事件が起こった背景や解決策を提示して、自分で解釈を加えつつ幅を持たせた方が有意義だと感じたんです。もちろん、まだまだ道半ばですが。
栗田 たしかに業界でも、自己満足とまでは言わないですけど、必要以上にジャーナリズムに傾倒しすぎる人は一定数いますよね。結果、何のために書いているのか動機が薄れて、読者を置き去りにした結果、本が売れない悪循環に陥っている。ジャーナリズムに拘泥することが、ある意味ノンフィクションのカテゴリーを衰退させた一因につながっているようにも感じています。
新庄 それこそ『ルポ秀和幡ヶ谷レジデンス』の最後では、なぜ25年間にわたって独裁体制が敷かれていたか分析されており、栗田さんが取材を進めたイズムを感じます。単に勧善懲悪な物語に収束するのではなく、騒動の背景にはどのような構造があったのか、また今後マンション自治のトラブルを防ぐにはどうするべきか。そこを逃さずに言及しているところが興味深かったです。
栗田 取材を始めた当初から、旧理事長を筆頭にした体制側は、なぜそこまで理事職に固執しているのか疑問でした。約300戸ある大型マンションで、ルールの線引きも正解がないなか、自治を率先するのは労力に見合ってないわけですよ。住民の中には、管理費を着服していると吹聴される方もいましたが、少なくとも法に抵触している事実を私は確認できず、巨額のお金を懐に入れることは不可能なはずです。
それで取材を進めていくと、かつて暴力団関係者が区分所有者になったり、右翼団体が街宣をかけて来たりと、マンション自体が食い物にされそうになった過去があると知りました。そこから旧理事会の規約が厳しくなったのは間違いない。賃貸ですら入居者との面接を行う用心ぶりも、根底には住民の安全を守りたい義務感があったと踏んでいます。取材では、旧理事長が堅物で真面目であったと証言する区分所有者や、治安が改善されて安心して居住できるようになったと語る住民もいました。
そう考えれば、旧理事長が一概に悪いとも断言できない。むしろ理事会が暴走したことに対して、ブレーキをかけなかった周りの役員や、理事会に参加しない住民の無関心にも問題があるのではないか。そのせいで独裁が当然のようにまかり通り、ここまで横暴にエスカレートしたのではと結論づけています。

日曜劇場を彷彿とさせるテイスト
新庄 ちなみに栗田さんは、どういった経緯でノンフィクションを描かれるようになったのですか。
栗田 私の場合は成り行きな部分も大きいですね。きっかけは20代半ばで海外を放浪していた際、長編のノンフィクションを何冊も持参していたんです。そこから週刊誌などで記者を勤め事件や政治、経済など様々な分野を取材するようになっていった。ノンフィクション作家の城島さんに師事したことも重なり、自然と今の立ち位置に落ち着きました。
新庄 知人のノンフィクション作家でも、昨今は書ける媒体が少なくなっていると嘆く人を散見します。そうした環境下でも、精力的に執筆されているのは矜持を感じます。
栗田 たしかに紙媒体の原稿料も若干下がっていますし、取材費も出づらくなっています。逆説的ですが、ノンフィクションの執筆に労力を費やすために、食い扶持を確保しないといけない時代になりつつあるなと。
そうした意味で、将来的な不安はありますが、別にノンフィクションにこだわるつもりもないんです。小説や映画も好物ですし、過去にドキュメンタリーの映像作品に協力した際は、違った業界を覗けて新鮮でした。個人的には関心があること、受け手に需要があるものを幅広くやっていきたいですね。
新庄 『ルポ秀和幡ヶ谷レジデンス』も、映像化を意識して執筆されたと仰ってしましたね。たしかにTBSの日曜劇場のようなテイストに近い雰囲気を感じますし、総会のシーンはありありと映像が浮かび上がって来ました。今後ドラマや映画化にも期待しております。
栗田 ありがとうございます。映像化が実現した際は、原作者の先輩として色々とお話伺わせてください。

新庄耕 絶賛の傑作ノンフィクション!

「東京渋谷区の一等地に、とんでもないマンションがある―」
すべては、一本の電話から始まった!
マンション自治を取り戻すべく立ち上がった住民たちの闘争1200日
新宿駅からわずか2駅、最寄り駅から徒歩4分。都心の人気のヴィンテージマンションシリーズにもかかわらず、相場に比べて格段に安価なマンションがあった。その理由は、30年近くにわたる一部の理事たちによる”独裁”管理とそこで強制される大量の謎ルールにあった。身内や知人を宿泊させると「転入出金」として1万円の支払い、平日17時以降、土日は介護事業者やベビーシッターが出入りできない、ウーバーイーツ禁止、購入の際の管理組合との面接……など。過去、反対運動が潰された経緯もあり住民たちの間に諦めムードが漂うなか、新たに立ち上がった人たちがいた!! 唯一の闘いのカギは「過半数の委任状集めること」。正攻法で闘うことを決め、少しずつ仲間を増やしていくが、闘いは苦難の連続だった……。マンションに自治を取り戻すべく立ち上がった住民たちのおよそ4年にわたる闘いをつぶさに描いたルポルタージュ。
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