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初エッセイ『優しい地獄』が話題沸騰! なぜイリナ・グリゴレさんは日本で獅子舞の研究をするのか?

初エッセイ『優しい地獄』が話題沸騰! なぜイリナ・グリゴレさんは日本で獅子舞の研究をするのか?

書評家のタカザワケンジさんが、毎回話題の著者にインタビューする特集企画がスタートします!
第一回は、青森在住の人類学者で、初の著書『優しい地獄』が大きな反響を呼んでいる、イリナ・グリゴレさんにお話をうかがいました。
イリナ・グリゴレさん
イリナ・グリゴレさん

『優しい地獄』は独特なグルーヴ感のある文体でつづられている。たとえばこうだ。

『雪国』を読んだ時「これだ」と思った。私がしゃべりたい言葉はこれだ。何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。自分の身体に合う言葉を。その時、すべてがつながった。映画監督になりたかった「田舎から出た普通の女の子」として受験に失敗し、秘密の言葉である日本語を思い出した。「映画」で表現できないなら、きっと新しい言葉を覚えたら身体が強くなる。日本語は、私の免疫を高めるための言語なのだ。

 著者のイリナ・グリゴレさんはルーマニア生まれ。2009年に国費留学生として来日し、2013年に東京大学大学院博士課程に入学。映像人類学を専攻し、現在は青森県で北東北の獅子舞、女性の身体をテーマに研究している。

『優しい地獄』は彼女の初エッセイ集だ。ルーマニアの田舎で育った少女時代の思い出、社会主義国だった頃のルーマニア、その後、資本主義に移行してからの混乱、映画監督を志した青春時代、日本への留学、娘二人との生活と題材は多岐にわたる。しかし読み始めればその文章の力に引き込まれるだろう。

『優しい地獄』が書かれた経緯と、日本語で表現することについてイリナさんにうかがった。

ルーマニア語では書けなかったエッセイ

──『優しい地獄』を拝読しました。1篇ごとに驚きと発見があるエッセイでした。

イリナ ありがとうございます。本を出せたことがいまだに信じられないんです。先日、東京に行った時に、お世話になった編集者、足立さんと一緒に本屋さんに行って本が並んでいるのを見たんですが、本が私から離れて自分の道を歩んでいるみたいに感じましたね。

──エッセイを書くことになった経緯から教えてください。

イリナ 私は言葉があまり上手ではありません。母国語のルーマニア語であっても英語であってもフランス語であっても、もちろん日本語でも。読めるし書けるんですけど、言葉に対して抵抗があるというか。なぜ言葉に抵抗があるのか。言葉もイメージもマニピュレーションとプロパガンダのため利用されて、され続けるのでそれらを越える本当の言葉を求める自分がいるから。だから自分がエッセイを書けるとは思ってもいなかったですね。
 ただ、私は、踊りたい、映像を撮りたいという気持ちが子供の時からあったんです。日本に来てからも、田中泯さんとともに活動していた「私の子供=舞踊団」に入って踊ったりしていました。泯さんと高橋悠治さんがコラボしたパフォーマンスを見に行った時、公演の後に打上げがあって、八巻美恵さんという編集者と出会いました。獅子舞の研究をしていると話した私に、話が面白いから「水牛通信」というウェブサイトで書けば、と言ってくれたんです。彼女が「書ける」というなら書けるのかなと。軽い気持ちで引き受けたんです。自分に信じる人が一人でもいれば救われると言われるが、私にとって美恵さんは本当にすごい方です。

──獅子舞と女性、ジェンダーを研究されているそうですが、そちらは他者へのインタビューや調査ですよね。一方、書くことは、イリナさん御自身の経験を表現すること。『優しい地獄』では少女時代からこれまでの半生を書いています。女性として感じたことや、ジェンダーについての考察もあります。

イリナ 最初から、これはルーマニア語では書けないだろうなと思っていました。私、子供の時の出来事を本当によく覚えているんです。脳みその中で細かいところまで映像を再生するように。全部覚えているので、表現という言葉はあまり好きじゃないですが、どうにかして外に出さなきゃいけないと思っていたんですけど、その方法が見つからなかった。それはルーマニア語ではできなかったんです。でも、いま他者という言葉が出ましたが、日本語で書くことで、意図的に自分を他者にしようと思いました。

──自分を他者にする。自分を調査対象にするということですね、なるほど。

イリナ ルーマニアにいても日本にいても、日常の暮らしの中でお互いのことを知るのは難しいですよね。どういう形でお互いのことを知ればいいんだろう。お互いのことを知れば世界が変わるんじゃないか。そんなことを考えていたんです。
 その頃、ちょうどいろんな女性の個人史をインタビューしていました。子供から七十過ぎの女性まで、研究データとしてライフヒストリーを聞いていたんです。私は聞き手ですが、向こうも私のこと興味があって質問してきます。お互いのことを飲み込むような形で聞くので、自然と私もルーマニアの田舎での暮らしを振り返って話したりしました。話を聞いているのが日本の田舎なので、ルーマニアの田舎を思い出したということもあるし、「イリナちゃんはおばあちゃんとおじいちゃんに育てられたんだね」といつも言われるんですよね。そうやって話していて、自分のことでも他者のように書けるんじゃないかと思ったんです。
 私はもともと人に興味あって、目の前にいる人のことをもっともっと知りたいんですよ。だから人類学なのかな。人類学は人を一番近くから見れると思うんです。そしてカメラを使えば、人をいろんな側面から見ることもできます。だから映像と人類学を一緒にした映像人類学を選んだんだと思います。

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タカザワケンジ

たかざわ・けんじ●写真評論家、ライター、書評家
1968年群馬県生まれ。雑誌、Webに文芸書評、写真評論、作家インタビューを執筆するほか、文庫解説を手がける。『Study of PHOTO 』日本語版監修。金村修との共著に『挑発する写真史』がある。東京造形大学、 東京綜合写真専門学校、東京ビジュアルアーツほかで非常勤講師。

公式ツイッター@kenkenT

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