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オカルトブームから「学校の怪談」へ——変わりゆく学校、変わりゆく怪談【対談・吉田悠軌×大槻ケンヂ】

7月4日より発売中の吉田悠軌さん新刊『よみがえる「学校の怪談」』
刊行を記念して、オカルトを愛するミュージシャン・大槻ケンヂさんとの怪しく楽しい対談が実現しました。

『青春と読書』8月号より転載
構成/朝宮運河 撮影/山口真由子
写真左から、大槻ケンヂ氏、吉田悠軌氏。
写真左から、大槻ケンヂ氏、吉田悠軌氏。

口裂け女の噂に震えた小学生時代

大槻 対談のしょっぱなから申し訳ないんですが、僕らの世代は学校の怪談にそこまで馴染みがないんです。ブームになった頃にはもう成人していましたから。 

吉田 大槻さんの小学生時代というと一九七〇年代ですよね。

大槻 そうそう。だからオカルトブーム直撃世代ではあるんです。UFOとかユリ・ゲラーとか。でもトイレの花子さんと言われてもピンとこない。学校の怪談が流行ったのは九〇年代ですか。

吉田 そうですね。児童書の『学校の怪談』シリーズが大ヒットしてマンガ、アニメ、映画と他のメディアに波及したのが九〇年代。私もその頃には小学校を卒業していました。

大槻 だからこちらの本の冒頭で、子供たちにリアルに語られている怪談と、松谷みよ子さんなどの(民話)研究者が確立した枠組としての学校の怪談があると書かれていて、そうなのかあと素直に感心しました。有名なテケテケなんかも、僕の中では比較的最近の妖怪というイメージなんです。少なくとも僕の小学校にはいなかった。

吉田 テケテケも有名になったのは九〇年代ですね。ただ沖縄と北海道では八〇年代から囁かれていたようです。

大槻 ツアー先でこの本を読んでいたので、会った人たちにテケテケについて話しましたよ。あれは沖縄にルーツがあって、〝Take It!〟がテケテケになったんだよと。

吉田 大槻さんは東京の中野区出身ですよね。通っていた小学校に怪談はなかったですか。

大槻 うーん、思い返してみてもなかったかなあ。コックリさんとか心霊写真集が大流行して、そっちの記憶が強いですね。中岡俊哉さんの『恐怖の心霊写真集』を同級生が持ってきて、悲鳴をあげながらみんなで回覧するという。コックリさんはガチでヤバいという噂で、男子も女子も恐れていたと思います。ただコックリさんはまずいけど、キューピッドさまなら大丈夫だという子もいて。

吉田 そういう抜け道があるんですよ。エンジェルさまとかキューピッドさまなら安全だという。

大槻 学校の怪談に近いものとして一番記憶に残っているのは口裂け女ですね。あれは都市伝説系になるのかな。

吉田 そうですね。口裂け女は直撃世代ですか。

大槻 もろ直撃世代です。あの体に電流が走ったような衝撃は忘れられませんよ。小学二、三年の時だったかなあ、学校から帰ると母親が真剣な顔で「ケンちゃん、口裂け女っていうのが出るのよ」と話をしてきたんです。「何だ、それは!」と聞き返すと、口が耳まで裂けている女性が子供を襲うんだという。それが今、近所の沼袋まで来てると(笑)。僕は野方というところに住んでいたから、もう近くなんです。強烈な恐怖を感じました。翌日学校に行ったらもうみんな知ってて、これはヤバいぞという雰囲気。口裂け女ブームは何年頃ですか。

吉田 マスコミで報じられて火がついたのは七九年です。ただ調べてみると七〇年代半ばから、ぽつぽつと全国で噂は囁かれていたみたいですね。

大槻 あの広がり方はちょっと異様でした。学習塾に行ってもみんな口裂け女の話をしているし。当時はまだネットがないわけだから、ほぼ口コミだったと思うんですけど、瞬く間に広がりました。学校の怪談もそんな風にして口コミで広まっていったのかしら。

吉田 そこがよく分からないんです。代表的な学校の怪談であるトイレの花子さんも、いつ頃から語られ始めて、どのように伝播していったのかが分からない。全国的に有名になったのは学校の怪談ブームの九〇年代なんですけど、もっと古くからあるはずです。調べると戦後すぐには語られていたらしいし、おそらく戦前にもあった。ただ活字の資料に現れてくるのが遅いので、さかのぼることができないんです。

大槻 怪談のリサーチといっても、基本的には新聞や雑誌に載ったものを確かめるしかないんですね。

吉田 現地に行って取材もしますけど、基本的には新聞雑誌ですよね。ただ活字メディアがその手の話題を取り上げるようになったのは、口裂け女がブームになった後の八〇年代以降なんです。それ以降、都市伝説や学校の怪談のような話題がちらほらメディアに現れるようになる。

ラジオの深夜放送に手がかりがあるはず

大槻 ちょっと学校の怪談からずれちゃうんですが、稲川淳二さんの怪談で、お墓に埋葬した死体が帰ってくる話がありますよね。

吉田 はいはい。「北海道の花嫁」として知られる話ですね。稲川さんの初期のレパートリーです。

大槻 あれとほとんど同じ話を僕、小学生の頃に読んだことがあったんです。海外の怪奇小説集で。だから稲川さんの怪談を聞いた時に、元ネタが分かっちゃったの。

吉田 お読みになったのは多分、S・H・アダムズの「テーブルを前にした死骸」だと思います。確かに似ているんですよね。ただ「北海道の花嫁」はバックパッカーの間で語られていた怪談らしくて、テレビ局の衣装スタッフが自分のおじさんからその話を聞き、それを稲川さんに伝えたという経緯なんです。

大槻 じゃあ北海道を旅していたバックパッカーの誰かが、怪奇小説をパクったのかしら。

吉田 それは分からないです。そもそもアダムズの小説もフォークロアを下敷きにしているみたいですし。トイレの花子さんと一緒で、最初のルーツまでたどり着くのは難しい。

大槻 面白いなあ。オカルトっぽい立場を取るなら、人間の心は集合的無意識みたいなものでお互いに繫がっていて、そこから同じような怪談がまったく繫がりのない場所で生まれてくるのかもしれない。それが学校で生まれると、学校の怪談と呼ばれるようになるとかね。

吉田 稲川淳二さんには「赤い半纏」という有名な怪談がありますよね。トイレから「赤い半纏着せましょか」という声が聞こえてきて、調べに入った女性警官が「着せとくれ」と返事をしたら首を切られて、赤い血が半纏のように流れたと。今や都市伝説化していますが、あれは戦時中に女学校で語られていた学校の怪談なんです。その話をリスナーの女性が投稿して、稲川さんがラジオで話したことで全国区になった。

大槻 面白いのは花子さんにしても、赤い半纏にしても数十年のタイムラグがあるでしょう。最初に語られてから流行るまでの間に。そのミッシングタイムはどうして生まれるんでしょうね。

吉田 コックリさんもそうなんですよ。コックリさんは明治時代から花柳界の遊びとして知られていたものなんです。それが七〇年代になって小中学生の間で爆発的に流行る。もちろんメディアで取り上げた中岡俊哉という存在があったにせよ、なぜその時期ブームになったのかという疑問はありますよね。

大槻 当時もオカルトインフルエンサーみたいな人がいたのかもしれない。怪談を語るカリスマ塾講師とかね(笑)。あと僕らの世代に影響力があったのは、ラジオパーソナリティです。当時の若者はみんな深夜放送を聞いていたから、「セイ!ヤング」とか「オールナイトニッポン」とか「パック・イン・ミュージック」で語られた怪談ネタが、全国の学校に広まったという流れはあると思います。

吉田 まさにおっしゃるとおりで、ラジオには学校の怪談を解き明かすための鍵が絶対あるはずです。でも新聞や雑誌と違って、アーカイブがほとんど残らないんですよね。もしかするとラジオ局に録音が残っているかもしれませんが、一般人には調べられませんし。この本では深夜放送まで調べが及ばなかったので、大きなピースが欠けているのではという思いもある。今後の課題ですね。

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新刊紹介

吉田悠軌

よしだ・ゆうき
1980年東京都出身。怪談、オカルト研究家。怪談サークル「とうもろこしの会」会長。オカルトスポット探訪マガジン『怪処』編集長。実話怪談の取材および収集調査をライフワークとし、執筆活動やメディア出演を行う。
『怪談現場 東京23区』『怪談現場 東海道中』『一行怪談』『禁足地巡礼』『日めくり怪談』『現代怪談考』『ジャパン・ホラーの現在地』『怪事件奇聞録』『教養としての名作怪談』など著書多数。

Xアカウント @yoshidakaityou

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