2019.12.4
姉は漫画家。妹は編集者。 出版界の有名姉妹がヒットを生み続ける理由
根っからのチームワーク好き気質
――その後、紀子さんは編集者として、奈緒子さんは漫画家として、それぞれの持ち場で開花されていくわけですが、振り返って“原点”と思える記憶はありますか?
奈緒子 生まれ育った長崎の諫早という街に流れていた文化の空気は、自分のベースにあるのかもと最近思うようになりました。町内に芥川賞作家の野呂邦暢先生のご自宅があったり、諫早は脚本家の市川森一さんのご出身地でもあったり。私が通った高校は谷川史子先生という漫画家を輩出していたという縁もあったから、「私も漫画家になれる」と夢を見続けられた気がします。
紀子 小学校高学年の頃の姉が勉強机でひたすら(漫画の手法の)「網掛け」の練習をしていたのを覚えています。チラシの裏に絵をたくさん描いている姿も。
奈緒子 いがらしゆみこ先生の『キャンディ・キャンディ』の絵は、よく真似て描いていました。「漫画家になる!」と決めたのは、大和和紀先生の『はいからさんが通る』の世界に私も入りたいと思ったのがきっかけ。漫画家に“なりたい”じゃなくて“なる”。歳をとったらおばあちゃんになるのと同じように、私は漫画家になるものだと思い込んでいました。
紀子 姉妹そろって、思い込みの激しい性格でして…(笑)。
奈緒子 あの時代は子どもが夢中になれる娯楽なんて限られていたからね。私は漫画が大好きだったから、漫画家になると思い込んだという単純な発想。でも、「なる」と思い込んでいたものの、27歳になるまでずっとなれなくて。「どうしてだろう。おかしいな」と思っていました。「私の作品の良さを理解しない世の中が悪い」と。今思えば、完全に客観性がなかったです(笑)。
――子ども時代の紀子さんに“編集者気質”は感じられましたか?
奈緒子 変化をこわがらずに職場を変えられる気質は、転職が多かった父から受け継いでいるでしょうね。あと、社交的で友達が多かったのも、編集者に向いていたと言えるのかも。部活はバレーボールを続けてやって、高校では演劇部を創部してたよね。いつも出かけてばっかりだから、母が「紀子はお父さんに似て遊んでばっかりたい。いっちょん帰ってこん!」と怒っていました。
紀子 それよく言ってたね(笑)。私はやっぱりチームワークで何かを達成するのが、根っから好きなんだと思います。
――「好きなことを仕事にしたい」と望んでも、なかなかできない人たちに向けて、アドバイスをお願いします。
紀子 姉の場合は、「なる」と決めて突き進んだというだけですよね。作家とはそういうものなのかもしれないですけど。
奈緒子 「もうちょっとうまいやり方あったんじゃない?」と、当時の私には言いたいですよ。何しろ正面突破しか考えていなくて、「老舗のあの雑誌でデビューするんだ!」と、当たっては砕けていましたから。高い壁を飛び越える方法だけにこだわらず、穴を掘ってみたり、壁の横から抜けてみたり、他の方法も考えれば、もっとデビューは早かったかもしれないです。実際、「ちょっと他の出版社に持ち込んでみようか」とアプローチを変えたことで、すぐにデビューが決まりましたから。だから、今まさに挑戦中の人たちには、「うまくいかなかったら、他の方法も考えてみて」とお伝えしたいかな。
紀子 やっぱり長女タイプですね〜。私は次女だから、常に要領よく考える(笑)。やりたい仕事ができそうな場所に、とにかく潜り込んじゃえば、そこで誰かに認められたら、さらにチャンスも巡ってくるはずと。映画『摩天楼はバラ色に』で、マイケル・J・フォックスが配送係として大企業に潜り込んで、出世していったように。
奈緒子 たとえが古いって(笑)。
紀子 すいませんね(笑)。「編集者志望です。でも、正社員に採用されません」と相談してくる若い子には、「とりあえずバイトでもいいから潜り込んじゃえ。まず動いて、できることから始めてみたら」と伝えています。まあ、いくらでもルートをつくれる編集者と違って、漫画家さんはそううまくはいかないと思うけれど。
奈緒子 でも漫画家になるルートも多様になっているからね。今はネットで自由に作品発表できる場も増えたから、チャンスは昔よりずいぶん開かれていると思うよ。
紀子 たしかに。今の編集者はずっとツイッターを観察しているもんね。もう一つ、伝えたいのは、そもそも「好きなことを仕事にしなきゃ」とプレッシャーを感じる必要もないんじゃないかなということ。好きなことは趣味で継続しつつ、仕事は「毎日やって苦ではない」くらいのレベルでバランスを取る生き方で十分に素敵だと思う。
奈緒子 そうね。自分の体質に合っているものを見極めればいいんだと思う。自分で分かりづらければ、周りの人から褒められることを選べばいいんだし。
紀子 私は自分の体質に合っているのは「チームで目標達成する」という働き方だなと気づいたから、出版社を辞めて次に選んだ職は、チームワークを重視する“ファンベースづくり”の仕事だったんだよね。