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これまでの道のりの先に、これまでとは違う道を探して――写真家・繁延あづささんが読む『相談するってむずかしい』

8月5日に発売された、青山ゆみこさん、細川貂々さんによる共著『相談するってむずかしい』
ロングセラーとなっている本書に、読者の方からの「話す」「聞く」の実感をともなった感想が多く寄せられています。
さまざまな場で、「話すこと」「聞くこと」の実践を行っておられる方に、本書をどのように読まれたのか、感想をお寄せいただきました。
前回は、ライター・近藤雄生さんに、本書の感想と、ご自身を大切に取り扱うために続けている「ご自愛習慣」エッセイをお寄せいただきました。
今回は、写真家の繁延あづささん。ご自身にとっての印象に残る「相談」のエピソードを明かしてくださいました。
撮影:繁延あづさ
撮影:繁延あづさ

 〝相談しましょう〟という言葉はよく聞くし、世の中にはいろんな相談窓口なるものも設置されて、相談の機会はあふれているように感じる。けれど、この本のタイトルは『相談するってむずかしい』である。困ったり難しさを感じたときに相談するわけだけれど、その相談すること自体が難しいとはどんな状況だろう? そして、そんなときはどうすればよいのか? そんな相談以前のことから、相談できる人になっていく様子が、まったく違うタイプの二人の当事者目線で描かれている。しかもマンガとエッセイという表現によって、絶妙なバランスを貫いた一冊。

 著者のひとりである青山ゆみこさんは、社交的で、小さい頃から周囲の空気を読み取って動く〝気が利く子〟だったそう。成長してからは快活さや積極的な言動を発揮し、私には少女漫画の主人公のような人に思えた。が、本人の目線は冷静で、それも周囲の期待におのずと応えていたからでは、と疑念を向けていた。そんな見方があったのかと驚いた。でも、そうか、なるほど。〝主人公みたい〟と感じる時点で、それは多数に望まれた人物像とも言える。
 一方、もうひとりの著者である細川貂々さんは、小さい頃からワガママな子扱いされたり、空気を読めと言われたり。青山さんの〝気が利く子〟とは逆に、いつも周囲とのズレの中で「なぜ」と問い続けていた。その半生が、前半のマンガで描かれている。同じ経験はないけれど、「自分はまわりと違うのでは?」と疑う感覚や、それをバレないよう振る舞っていたことを、貂々さんのマンガを読みながら久々に思い出した。48歳のとき〝発達障害〟だったことがわかった貂々さんが、それまでの謎が解かれて世界の見え方が変わっていくくだりは、私までもが霧が晴れたような気持ちになった。

 大人になった青山さんは人生のコマを進めながら、ときどき立ち止まって考え、少しずつ路線を変えていく。ガラリと大きく変えるのではなく、茅ヶ崎行きを途中で横須賀行きに乗り換えるような、これまでの道のりの先に、これまでとは違う道を探してゆるやかに変わっていくように見えた。そうした中で、長年暮らした愛猫の死をきっかけに、青山さんはアルコール依存が高まり生活が荒れていく事態に。そうかと思えば、そんな生活を変えようとアルコールを断ち切り、できた時間で仕事をこなすというデキる人になっていく。くるくる変わる様に、なんて変幻自在な人なんだ⁉︎ と感嘆しながら(半ば混乱しながら)読んでいると、「わたしの身体が突然動かなくなった」と突然の急停止。あまりの展開に呆気に取られた。そのときのことを青山さんはこう述べている。

〈なぜだかわからないけれど、自分に対して否定的な感情しか湧いてこず、そんな自分がダメだと責める言葉ばかり頭に浮かんでくる。同居する夫の言葉も、心配して連絡をくれた人の言葉も、自分を批判する材料にしかならない。(中略)身体は鉛のように重たくて、椅子に座るだけで泣きそうにつらい〉

〝椅子に座るだけで泣きそうにつらい〟という文言を繰り返し読んだ。私にはそんな経験ないどころか、想像もできない。わかりたくて、思わず私も椅子に座ってみる。が、やはりわからない。けれども、青山さんの実感から出たであろう言葉を繰り返し読んでいると、きっと言葉通りなのだと思えてきた。〝椅子に座るだけで泣きそうにつらい〟ということがあるのだ。

 青山さんの元気が失われたとき、そこから抜け出そうと手にした本の中に、貂々さんのベストセラー『ツレがうつになりまして。』があったという。まったく違うタイプだけに、二人は遠く離れて出会うことなどなさそうに思えていたけれど、青山さんは少しずつ路線を乗り換えながら貂々さんの近くにきていたのかもしれない。ただ、その後の二人の出会い方、青山さんからのアプローチには衝撃を受けた。

〈いわばそこまで親しいわけでもない作家さんを相手に、かなり唐突にSNSのメッセージを送り、「オープンダイアローグの実践を一緒にやりませんか? あわよくば将来的に本を一緒につくれたら嬉しいです」などと声をかけた〉

 不謹慎ながら、爆笑してしまった。元気を失った青山さんの、そこから抜け出たい必死さだけではないであろう、生来の弾丸っぷりが発揮されている。爽快な一節だ。そこから、ふたりは会話しながら模索し、それがこの本になっていく、というなんとも不思議な入れ子状の本である。

 帯に「とにかくおしゃべりを続けよう」とあるが、その意味が、後半を読むとわかるような気がしてくる。それぞれの素直な吐露があり、そこにはあまり人に見せない(見せたくない)部分も含まれている。でも、私の中にも同じものがある。誰にでもあるものなのかもしれない。読み進め、どんどん裸になっていくようなふたりの会話を覗き見しながら、「見せない」を少しずつ解除していくことは、とても魅惑的なことのようにも思えてきた。その決定打が、ラストの貂々さんのマンガ。ネガティブクイーンだった貂々さんが、暗い中で「いつのまにかあった‼」と光の出口を見つけるシーン。ああ、こんなふうに感じられるのか、と感じ入った。体験から描きだすマンガだからこそ伝わってくる、世界を出ていく感覚、世界に踏み入る感覚、安心できる原っぱの風景がありありと。暗いところを知らないより、暗いところを知って出ていくことの方に、引きつけられてしまうのは私だけだろうか? ぜひ他の人にも読んだ感想を聞いてみたい。

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新刊紹介

繁延あづさ

写真家。著書に『ニワトリと卵と、息子の思春期』(婦人之友社)、『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)、『うまれるものがたり』など。朝日新聞エッセイ、長崎新聞フォトエッセイ、『助産雑誌』(医学書院)表紙&巻頭エッセイなどの連載がある。次作『鶏まみれ』準備中。

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