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「このゲームを自分は体験した」という幸福な記憶──生湯葉シホが読むソーシキ博士『インディーゲーム中毒者の幸福な孤独』

博士の配信の記憶のほうを鮮烈に思い出す

本書のなかで、博士は配信でプレイした「Gustavvv」という奇妙なゲームをふり返りながら、ドラゴンクエストシリーズの生みの親である堀井雄二氏の言葉になぞらえつつ、自身の考える“ゲーム体験”についてこう語っている。

私も普通では出会えないゲームを探し当てるという行為自体を大きな意味で〝ゲーム〞だと捉えている。さらに配信する事までがその要素の中に含まれ、秋の夜に「Gustavvv」を複数の視聴者とただ見続けた時間も特別な〝ゲーム〞体験として胸に残っている。

ゲーム配信というコンテンツが一大ジャンルとなって久しいけれど、自分自身の体を動かしてプレイしなければそのゲームを“本当に”プレイしたことにはならないと考える人は、いまでもおそらく少なくないだろう。しかし、ソーシキ博士の配信をきっかけに海外インディーゲームの底知れなさに取り憑かれ、自分でもインディーゲームを遊ぶようになった私としては、あるゲームのことを思い出そうとするとき、ひとりで画面に向き合っていた瞬間の記憶より、むしろ博士の配信の記憶のほうを鮮烈に思い出すことが多いのだ。

それは、自分が(幸運なことに)実際に配信をリアルタイムで見られたゲームに限らない。本書で名前が挙げられるいくつもの魅力的なゲームのうち、すでにプレイすることができなくなっているゲームも複数あるが、本書を読み進めるにつれ、遊んでみたかった、という悔しさと同じかそれ以上に、このゲームを自分は体験したのだ、という幸福な記憶がたしかに積み重なっていることに気づく。それはソーシキ博士がゲームの一つひとつに向けるまなざしの丁寧さゆえだろう。博士はインディーゲームとの交流を“インタラクティブでありながら、互いの孤独を踏み越えないとても安寧なものだった”とふり返るが、“踏み越えない”礼儀正しさが徹底されている本書のゲームレビューの数々を読むことは、博士の言葉をもうすこしだけ拡大解釈することが許されるなら、それ自体がひとつの稀有なゲーム体験であるように思う。

ソーシキ博士が広大なゲームの海のなかからシーグラスのようにいびつに光る作品を両手いっぱいに拾い上げ、毎晩のように視聴者の前で遊んでみせてくれていた時間は奇跡のようだった。 あの贅沢な時間をエッセイというかたちで追体験できることがたまらなくうれしいし、博士に探し当てられ、遊ばれるのを夢見ているゲームたちもきっとまだ無数にあるだろう。

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生湯葉シホ

ライター/エッセイスト。Webを中心にエッセイや小説、インタビュー記事などを執筆している。『大手小町』にてエッセイを連載中のほか、『別冊文藝春秋』にて短編小説「わたしです、聞こえています」掲載。

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