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戦火のウクライナでリリースされた奇怪な経営シミュレーションゲーム【ソーシキ博士『インディーゲーム中毒者の幸福な孤独』 新刊試し読み】

ウクライナを取り巻く状況が色濃く反映

 ウクライナの各地から避難民が集まった事によりリヴィウで安いアパートを借りるのはほぼ不可能な状況で、彼らは家賃が高く快適とは言い難い物件に入らざるを得なかった。比較的情勢が落ち着いているリヴィウではマーケットも機能しており、22時までの門限があるとはいえ食料も普通に購入する事ができた。地元の人達は神経質になっていて、避難民の中にロシアのスパイがいないか警戒しているという。彼の窮状を知った世界中のゲーマーからサポートが集まったお陰でこの2週間はなんとか乗り切れたが、外は常にサイレンが鳴り響きストレスから解放されることは無い。快適ではないアパートで彼らは仕事のこと、ハルキウにいる親戚のこと、街に残った友人や軍隊に行った友人のこと、これからの仕事や住まいのこと、何歳まで生きられるかなどについて話している。もしハルキウに戻れなくなったらドイツに行くことになりそうだ(3月13日、リヴィウの訓練所がミサイル攻撃に遭い35名が死亡した)。

 Marginal actがこれまでに発表したいくつかのゲームには確かに不穏な影があった。「the Line」は抑圧された東部の街から移動するため行列に並ぶという設定だったし「Vasilis」は軍隊が侵入した燃え盛る街で夫を探す老婆の物語だった。当時の私はそれらを彼の独特で不条理なセンスから生み出されたものと受け取っていたが、ウクライナを取り巻く状況が色濃く反映されたものだったのだと今になって気付いた。何もわかっていなかったと、今になって気付いた。

 彼は自分の街が爆撃されている最中にInstagramを眺め、ウクライナ人は戦争に関することばかり投稿しているのに他の国の人達が何気ない普段の生活の投稿をしていることに違和感を覚えたという。私が今更どんなに歴史を学んでも、直接話を聞かせてもらっても、他国との関係の中で弾圧や緊張を強いられてきた彼のことを本当の意味で理解する事なんてできない。だからこそ性急に言葉を紡がず、知らなかったことをずっと忘れないでおこうと思う。新しく得た知識と同じくらい、何も知らなかったことを忘れないでいようと思う。次に作るゲームは戦争をテーマにすることになりそうだという彼は「今の時代『楽しい』ことや『夢見がちな』ことはできない」と語る。「クトゥルフパブ」という空想の塊のようなゲームをリリースしたばかりの彼がこう言わざるを得ない戦争という不条理に対して、何も知らなかった私は、それでもはっきりと怒りを覚える。

 2022年4月1日現在、ロシアとウクライナは依然として戦闘が続いている。Marginal actは今もリヴィウの街で新しいゲームを作りながら、他にできる仕事を探し始めたそうだ。

12月5日、ついに発売!

人生のどこかの瞬間と響き合う、個人的なゲームたち――
異能のアニメーション作家による唯一無二のエッセイ集。

戦火のウクライナ発の奇怪な経営シミュレーション、セラピストと絵文字だけで会話するゲーム、認知症患者となりその混乱や不安を体験……

「数多くの個人的なゲームたちと確かに交流したのだという幸福な錯覚は、自分と世界との距離を見つめ直そうとする私に流れる孤独な時間を、今も静かに支え続けてくれている」(本文より)

書籍の詳細はこちらから

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新刊紹介

ソーシキ博士

アニメーション作家。映像制作チーム「ふりふり組織」のメンバーとして活動するほか、個人でイラストレーションの制作なども手がける。共著に『ゲーマーが本気で薦めるインディーゲーム200選』。

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