2023.7.25
本を出版すると爆モテするって本当?【山下素童×カツセマサヒコ ゴールデン街対談】
刊行を記念して、小説家のカツセマサヒコさんとの対談が実現しました。ディテールの描き方に共通点のあるお二人に、山下さんが店番として働き、作中にも登場するゴールデン街のバー「月に吠える」で、しっぽり語り合っていただきました。
(構成/タカザワケンジ、撮影/長谷川健太郎)
コンテンツ扱いされた体験
──お二人は面識はあるんですか?
カツセ 〝二度目まして〟です。それも三か月前ぐらいですよね。友達と一緒に、山下さんに会いにこの店にお邪魔しました。空いている席に座ろうとしたら、「私は二村ヒトシに会いに来たんだよ」と叫んでいる女の人がいて、スタートから超面白かったんですよ。しかもその人が、僕のこと「カセツさん」ってずっと名前間違えて言ってて(笑)。あと、文学系のユーチューバーさんから、「カツセさんの本は読まないようにしてます」って言われたりして。あのとき、お店に七、八人いたじゃないですか。七、八分の二、僕のこと嫌いだったわけで、想像していたとおりの文壇バーだったんですよ(笑)。
山下 別に嫌われてなかったですよ(笑)。カツセさんが来て明らかにテンションが上がっている女の人もいました。帰り際にカツセさんに握手を求めた方もいましたよね。
カツセ いや、僕も否定的に言ってるんじゃなくて(笑)。こういう店なんだというのが本当に面白かったんですよ。今回、山下さんの『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』を読んでいて、このお店での出来事を思い出して、自分の『明け方の若者たち』を読んでくれた人はこんな気持ちだったのかなと思いました。
というのは、『彼女が僕とした~』には僕が知ってる店や街が実名でばんばん出てきて、その店を似たような使い方をしたなとか、その街で同じようなことがあったなとか、自分の過去を思い出すんです。でも、当たり前だけど、この物語は自分の話ではない。そのことへの妙な嫉妬心みたいなものが湧いたんです。『明け方の若者たち』を出したときに、「私にも同じことがありました」ってよく言われたんですけど、「あなたの話ではない」と僕も思っていて。自他の距離感がバグる没入体験ってこういうことなのかと。複雑な気持ちになりつつも、楽しい読書体験だったというのが第一印象でした。
山下 現実のことをネタにして文章を書いていると、読者が作者になにか幻想を抱いて距離感がおかしくなってしまう現象が発生しやすいですよね。
カツセ 『彼女が僕とした~』にもそういう話が出てきますね。読んで抱く作家の理想像を一方的に投影してくるような人がいる。それと、読んだ本の擬似体験をしたいという人もいる。僕、『明け方の若者たち』を出してから一年ぐらい、飲みに行く約束をすると、作中同様にヴィレヴァンを待ち合わせ場所に指定されることが多かったんですよ(笑)。
僕としては小説は自分と距離を置いて書いているつもりだから、主人公は自分ではない。でも、読者からしたらイコールなのか、「カツセさんとヴィレッジヴァンガードで待ち合わせしたい」と言われる。ちょっと不思議な感覚だし、自分の世界に土足で入られた感もあったんですけど、山下さんはそういうことってありますか?
山下 ありますよ。自分がただのコンテンツ扱いされるみたいな感じですよね。「俺、消費されてんな」みたいな(笑)。
カツセ 実際の自分ではなく、「カツセマサヒコ」として消費されてしまう。そういうことに違和感のある時期がありました。
山下 そういうのって作品によるんですかね。カツセさんの二作目の『夜行秘密』のほうは一作目よりも作者と作品に距離があるように思いました。そうした作品を出した後は、そんなにカツセさんに幻想を抱く人は出てこないのではないでしょうか?
カツセ そうですね。一作目と対照的に『夜行秘密』は「固有名詞は一切使わない」と決めて書いたので、それで心のバランスが取れた。だけど、山下さんの本を読んでもう一回思い出しちゃったから、今はなんだか、イガイガした気持ち(笑)。
山下 いいじゃないですか、久しぶりにイガイガして(笑)。
カツセ 『彼女が僕とした~』に、小説の舞台になった聖地巡礼をしているユーチューバーが出てきて、その女性と寝ようとした作家のエピソードが出てくるじゃないですか。僕はそれが無理というか、僕の本の聖地巡礼しましたという人と会ったときの、自分がコンテンツ化されている感が苦手なんですよ。