2021.10.20
“畠山理仁の漫遊は水戸黄門を超えた説”を唱えたい——プチ鹿島さんが読む『コロナ時代の選挙漫遊記』
ジャーナリストだから現場に行く、ライターだから人々の声を聞く、というのは仕事としてそうなのかもしれない。しかし畠山さんの選挙に対する接し方にはそんな前提だけではない深さを以前から感じていた。候補者、支持者、その地域に住んでいる人、少しの時間でも出会った街の人など、すべての人間に対する等量の興味を感じていた。
《私は選挙期間中、「現場でしか見られない瞬間」を見逃すまいと走り回った。》
畠山さんが「有名」候補者だけでなく、立候補者全員に会いに行くのもあらためて納得できる。「人間」を知ろうとすることにどん欲なのだ。こんなことも書いている。
《「なぜ、そのような行動になるのか」を理解しようとすることは、多種多様な人たちが生きている世の中を理解することの一助となる。》
これはもう、すべての人間に対する「愛情」「慈しみ」と言っていいのかもしれない。“畠山理仁の漫遊は水戸黄門を超えた説”である。
本書を読むと自分の選挙区がまず気になる。この祭りに参加しない手はないと思うはずだ。次の言葉も読んで欲しい。
《投票に行った人も、投票に行っていない人も、必ず政治の影響を受ける。》
《政治に無関心でいられても、政治と無関係ではいられない。》
《政治に無関心でいることは「強烈な政治的行為」だと言える。》
ハッとする。
選挙に行く人たちは「選挙に行かないあなた」に対して厳しいことは言わないはずだという。なぜ?
《結果としてあなたが選挙に行かなければ、相対的に選挙に行く自分たちの影響力が大きくなることを知っているからだ。投票に行かないと聞いて「しめしめ」と思う人も世の中にいることを知ったほうがいい。》
ああああ。
《興味を持たない人たちは負け続ける。ひどいときには、負けていることにさえも気づかない。》
全国を漫遊して現場を見てきた「黄門さま」の言葉は重い。
投票したい人がいない、という方もいるだろう。でも安心してください、畠山さんは長年取材してきた経験から「すべてを任せられる候補者はめったに出てこない」と言っています。だから多くの人は「よりマシな誰か」を選んで投票しているのだ。しかし、
《自分たちで候補者を育てる気がなければ、選挙はいつまで経っても「『よりマシな地獄』の選択のままだ。》
当選した人を「理想の政治家」に近づけていく。
《候補者も有権者も選挙を通じて育つ。それこそが民主主義の醍醐味だと私は思っている。》
これらの言葉、かなり響きませんか。政治家は自分たちで育てていけばいいのだ。時代をガラッと変えるカリスマ政治家の待望などしなくていい。それは有権者がいつまでも受け身である証拠だから。
畠山さんの現場報告は各章で堪能できる。戸田市議会議員選挙での「スーパークレイジー君」はなぜ有権者を惹きつけたか。選挙モンスター・河村たかしのすさまじいお祭り力。現場にはすべての答えがある。選挙が持つ大きな役割の一つに「良い政策」をシェアしていくことがある。落選した候補の政策が活かされるのだ。選挙は結果だけでなくプロセスも大事であることがわかる。
この約2年間、選挙にもコロナが襲いかかった。
「お祭り」であり、候補者と有権者がコミュニケーションをとることで理解が深まる機会の選挙にとって一大事だ。そんな非常時でも、いや、非常時だからこそ、畠山さんは全国でおこなわれた選挙を見てきた。コロナ時代での選挙の現場はどうだったか。変わったこと、変わらないこと、ぜひ本書で「感じて」ほしい。
そして今度は私たちも漫遊しようではありませんか。まずは、自分の選挙区から。
●第2回 選挙はどろどろの人間ドラマ。それはまるで昼ドラだ。——時事YouTuberたかまつななさんが読む『コロナ時代の選挙漫遊記』
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