2025.8.23
息子の中学受験期にタイムリープしてしまったエリート勤務医の衝撃の末路【5分後に、虚しい人生。試し読み】
今回は、投稿された当時大きな話題を呼んだ「中学受験体験記 〜親子3人で支え合う家族の輪〜」を無料公開します。
コロナ禍の医師が主人公のSF(すこしふしぎ)タワマン文学をぜひお楽しみください!

「中学受験体験記 〜親子3人で支え合う家族の輪〜」
ホテル特有のピピピピという古臭いアラームが鳴る。自分でも驚くほど素早く目を覚ます。口が乾燥して気持ち悪い。前回はバスタブに湯を張るのを忘れた。真っ先に枕元のスマホを掴んで日付を見た。【1/31 6:55】。またか。また1月31日か……。
全ての始まりは6年前だった。自分はまだ大学病院に勤めていて、息子は年長で、幼稚園以外はくもんしか通わせてなかった。公立小に入れて中学受験はさせようと漠然と思っていたけど具体的なことは何も決めてなかった。そんな時、妻が突然来年からサピックスに子供を入れようと思うと言い出した。
最初は何かの冗談なんじゃないかと思った。自分も中学受験はしたけど、周りの早い奴でも勉強するのは3年生からだった。小1からサピックス? 一体何を教わるのか? そんな早くから入れるのが今は普通なのか? 一瞬混乱して、つい妻に「なんでそんなに早くから入れるの?」と尋ねた。
後から思えば聞くのは迂闊だった。中学受験は様変わりしている、あなたの時と全然違う、むしろ小1じゃないと入れない、そんな疑問が出るのは教育に関わる気がないから。そもそも出産の時だって……。もともと不機嫌だった妻はひとしきり怒りと原因について表明し、そのあともっと不機嫌になった。
研修医の時に紹介で知り合った妻は文系学部卒で専門商社で働き、出産後は育休を経て復帰していた。当時は自分も一番下の助教で忙しかったので正直子供にはあまり関われていなかった。教育のことはわからず妻に任せていた。幼稚園もいつの間にか決まっていたし、くもんもいつの間にか行っていた。
教育と言われても、こっちは研修医とかの教育のほうで手一杯で、自分の家の教育まで手が回らなかった。たまに夜に学校のこととか相談された気もしたが、毎日疲れ切っていたのであまり覚えてない。当直明けに外来やって夜に帰って、真面目に話すのは無理だった。「好きにしていいよ」としか言えなかった。
息子は公立小に上がりサピックスに通うようになった。送迎も全て妻がやっていたが、その後話し合い、自分は資金を稼ぎ、妻は教育に集中するということで仕事を辞めた。スマホを見ていることが多い妻を、自分は「ガルちゃんばかり読んで」と思っていたが、今はわかる、あれはインターエデュを読んでいた。
そもそもなぜ妻が中受をさせたいのか自分はまだよくわかっていなかった。怒られると嫌なので探り探り聞いてみたら、御三家に入れてゆくゆくは医者にしたい、というあまりにも直球なもので逆に驚いた。医者にしたい?? 自分は毎日辞めたいと思っているぞ??? こんな仕事を息子にさせたいのか????
久しぶりに息子と風呂に入って、将来なんになりたいのか聞いてみた。6歳なのに「医者」とさらっと答えたので、「それはお父さんを見て?」と聞いたら、別に、とつれなかった。8時までしか3DSやっちゃいけないから、と先に出られてしまった。自分のシャンプーで息子も洗ってしまったので妻に怒られた。
息子が小3になると同時に自分も総合病院に異動して少し時間に余裕ができた。とはいえオンコールも日当直も普通にあるし、一度思い立って「今日は俺がサピックスに迎えに行くよ!」と宣言した日の夕方に限って緊急入院が入って行けなくなり、以後は送迎を頼まれることすらなくなった。
妻との会話で渋幕の話が出て、「1月に受ける練習用の滑り止めでしょ?」と言ってしまってマジギレされたのもこの頃だ。あなたはずっと興味がない、興味がないからそんな発言が出るんだ、と責められた。でも、自分が四谷大塚に通ってた頃は確かに滑り止めだったし、知ったこっちゃないと思った。
息子はいつも暗く、楽しそうな表情は見なかった。こんな辛そうに勉強して、それで目指しているのか目指させられているのか知らないが、自分みたいにオンコールや当直や、理不尽なことばっかりの仕事に向かっていっているなんて考えたら寒気がした。大体、医者になれだなんてもう発想が古すぎると思った。
成績については良く知らなかったが、小5になりα3というクラスにいることを知った。妻に、開成を受けさせるつもりだと言われた。「いいんじゃない」ということで話はすぐ終わった。バカバカしい。最後医者にさせるんだったら別に開成である必要はない。医学部がみな御三家から来てると思ってるのか?
土日は好んでバイトの日当直に行くようになった。家に帰りたくなかった。妻はカリカリしているし、息子は暗く机に向かっているし、病院で先生と言われ金をもらうほうが全然まし。GS?だの、SS?だので考えられないほど金がかかった分を稼がないといけないのもあったが、それ以上に家に帰りたくなかった。
ちらほら医局を抜ける同期が出てきた。自分もそろそろか? でもどこに行く? QOLが高い病院で家族との時間を!と業者は言うけれど、今の自分はそれを求めてない。できた時間で楽しく過ごす場所がない。いいです、今はいいです。毎日仕事に忙殺されて、週末は日当直に行きます。何も考えなくて済むから。
気が付けば小6の1月になっていた。別に心から開成に入ってほしいと思っていたわけじゃないが、ここまで頑張ったのなら息子は報われてほしかった。年末から妻は気にしていたが、残念ながらまたコロナが流行ってきてしまい、にわかに病院もキナ臭くなってきた。何度目かもう忘れたが、あの嫌な感じ。
妻に、息子の人生が決まる時だから、しばらく家に帰らないでくれないかと頼まれた。診療でコロナにかかり息子が濃厚接触者にでもなったら大変ということだ。快諾した。どうせ家に帰りたくないし、この状況だと息子や妻が他のところで感染しても全くおかしくないがその時に自分のせいにされたら堪らない。
2月1日から数えて14日前、さらに大事をとって1月12日頃から病院の最寄り駅に近いアパホテルで暮らし始めた。こんなに静かな夜は久しぶりだった。毎日心からぐっすり寝た。一人飲みにも行きたかったが、病院の近くの繁華街で飲むのはリスクが高く、離れたホテルにすればよかったと後悔した。
息子の人生が決まる……受かって、医者になってこんな人生に決まるのか。家から出されて、外来終わってアパホテルで寝泊まりするのか。買ってきたビールを部屋で何本も空けた。当直の日もホテルの部屋は取りっぱなしにしていて少し勿体ないなと思っていたが、別に自宅の家賃も同じことだなと気づいた。
21日、部屋で飲みすぎて、渋幕を明日に控えた息子に電話するのを忘れて寝てしまった。翌日夕方、妻から「あまりできなかったみたいです」とだけLINEが来た。病院で読んだ時、胸が締め付けられるように苦しくなった。小1からあれほど勉強して本番でできなかった。どんな気持ちで家にいるんだろうか。
24日に「落ちてました」と妻から連絡があった。外来の合間に読んで少し泣いてしまった。夕方になり息子に電話をかけて少しだけ話した。なんて声をかけたのか覚えていないが、気を取り直して頑張る、みたいなことを言っていた。初めて、家に帰れないことをもどかしく思った。
31日は外来日なので早めに起きた。院外処方希望の患者に院内で処方してしまってクレームになったり、研修医が薬の量を間違えてインシデントを起こしたり散々だった。妻に電話したら、今日はゆっくりさせているから邪魔しないようにと言われたので、息子には「明日、頑張れよ!」とだけLINEを送った。
アパホテルに着き、風呂に入った。明日2月1日が本当の本番、開成。験を担ぐわけじゃないが、息子が頑張っているのだから自分も飲むのはやめようと思って飲まなかった。今、どれだけ同じようなことを考えている親がいるのだろうか。今さらこんな風に思うなら、もっと息子に関わればよかった……。
ホテル特有のピピピピという古臭いアラームが鳴る。6:55……? 早すぎる。あと30分は眠れた。でも二度寝すると遅刻しかねないのでそのまま準備をして出た。早く着いたので医局でテレビを見てくつろぐ。「昨日の全国のコロナ新規感染者数は78128人で……」。横ばいか、意外だな、昨日は月曜日だったのに。
9時になったら外来から早く降りてこいと電話がかかってきた。今日は外来日じゃないと言ったが、何を言っているんですかと怒られた。行ったらたくさん患者がいた。焦って今日は何日ですかとクラークさんに聞いたら笑われて1月31日だと言われた。そんな馬鹿なと思ったがスマホを見てもそうだった。
意味がわからないまま外来を始める。予知夢でも見ていたのか? 昨日来た患者が全員また来る。同じ訴えに同じ処方をする。院外処方希望の患者。普通に院外で処方したら当然何も起こらなかった。研修医から電話がかかってきたので抗生剤を量まで指示した。何も起こらなかった。病院は1月31日だった。
起こることが全てわかっているので仕事が異常に早く終わった。妻に〝昨日〟よりも早く電話したら、息子は不安そうにまとめノートを読んだりしていると言っていた。「え、開成は?」「開成はって何? その話をずっとしてるんじゃない。明日開成だから不安に決まってるじゃない」。不機嫌にさせてしまった。
ホテルに着いてじっくり考えたが意味が解らない。やはりリアルな予知夢を見たという風に考えた。昔読んだ電撃文庫じゃあるまいし、ループするなんてありえない。バカバカしい。明日こそ本当の2月1日。開成の日。はい。渋幕は悔しかったと思うけど、よく頑張った。明日も頑張ってくれ。おやすみ。
ホテル特有のピピピピという古臭いアラームが鳴る。目を覚ます。〝昨日〟のことを思い出す。ゆっくりとスマホを掴み、恐る恐る指紋認証を解除する。【1/31 6:55】。またか。また1月31日か……。
壮大なドッキリなんじゃないか。そんなことを思いながら病院に行き、8時半に外来に降りてみる。やはり同じ患者がたくさんいる。処方。処方。院外処方。処方。電話。セフトリアキソンは1g。確認して。昨日の新規感染者数は78128人。この時間の電話は不動産。即切り。妻に電話。まだ家に着いていないという。
あとで息子に電話していいかと聞いたらいいとのこと。夕方前に電話する。「小1からよく頑張ったと思うよ。お父さんあんまり送り迎えとかできなかったけど、本当に応援しているから。明日はリラックスして」。息子は少し驚いた様子で「うん」と、いつもより明るく答えた気がした。「ありがとう」
思えばここ最近はもちろん、数年来きちんと息子と話したことはなかったかもしれない。妻とも同じ。失ったものの大きさみたいなものを感じると同時に、受験が終われば少し取り戻せるかもしれない、と思ってきた。そのためにもハッピーエンドで迎えたい。開成に受かってくれ。心から願っている。おやすみ。