2023.10.27
スピリチュアルと江戸文芸……ぶっとんだ世界を読む/書くということ【酉島伝法+児玉雨子 対談】
SFや古典は“既成概念を壊してくれる”
児玉 意味を求めてしまう話でいうと、『るん(笑)』では造語が頻出しますよね。無添加で作った健康食品を「ミカエル」と名付けたり、抗がん剤を「抗蟠剤」と表記したり、負のエネルギーが少ないことを「次元上昇(アセンション)」と呼んだり。
小説内に、自身の作成した造語をこれでもかと組み込むスタイルが新鮮でした。
酉島 実は『るん(笑)』だと、造語はかなり少なめなんです。自分はもっぱら別の宇宙であったり遠い未来であったりと、別の世界を舞台にすることが多いので、その世界にふさわしい造語や、その世界の常識が必要になってきます。造語は、それを字面の雰囲気だけで匂わせるための小さな挿絵みたいな感じですね。ただ、異なる世界では故事成語もいちから作らないといけないし、どういうものかを説明するための比喩が造語だったりして、それらを文脈に違和感なく溶け込ませながら物語を進める間には言語的に縛られ続けます。だから、初めて文芸誌に「三十八度通り」を書いたときは、むしろ人間ってどう動くんだっけ、みたいな困惑もありつつ、普通の言葉で自由に比喩や描写を尽くせる喜びがありました(笑)。とはいえ、こちらはこちらで異質な常識に縛られ続けたわけですけど。
児玉 造語以外にも、小説内には緻密なこだわりが詰まっています。例えば、「病」という漢字から「疒(やまいだれ)」を取って、残った「丙」部分を「へいき」と呼んでますよね。『るん(笑)』に出てくる造語は、言葉のインパクトが先行しがちですが、意味を辿っていくと表記や成り立ちにもしっかり背景や意味がある。
もちろんこれらの特殊用語はネットや辞書に載ってませんが、だからこそ意味がわかると余計に気持ち良い。現実とはズレたスピリチュアル全開の世界なのに、どこかシンボリックというか、形や物にこだわる雰囲気がたまらないですね。
酉島 ありがとうございます。造語って、その世界をよく理解していないと、なかなか自然な体系で組めないんですよ。疒のあたりはすっと出てきましたけど、普段はとりあえずの造語を作って物語を進めながら練り直し続けることが多いです。それこそ江戸文芸の流行語みたいに、独特の語感でありながら自然な感じにどうすれば近づけるのかをずっと試行錯誤していますね。
そういうときに、古典と呼ばれるほど昔の小説やノンフィクションを読むのが、言葉の引き出しを増やすのに役立ったりする。いまでは使われなくなった言葉でも、別の世界の事物に当てはめると、とたんに息を吹き返すことがあります。単語だけじゃなく、文化習俗や作品ジャンルでもそうですね。
もちろん現代から離れた古い作品を読むのは、純粋に楽しいからですが、気がつくと創作の源泉になっていたりする。現在と過去、あるいは現実とフィクション、これらをうまく接続することで自分の創作の幅を広げてきた実感があります。
児玉さんも近代文学を摂取することが、創作に役立っているという実感はありますか?
児玉 私の場合、ボキャブラリーのインプットとして直接的に役立っているというよりは、精神的に助けられている側面が大きいです。『大悲千禄本』や『箱入娘面屋人魚』もそうですが、これほど変で突拍子のない設定の物語があるなら、「私も自由に書いて良いんだ」という後押しになっています。
現代日本を舞台に書いていると、主人公の思考やエピソードは変じゃないか、ここまで浮世離れしていたら読者が離れていかないか等、疑心暗鬼になることが多々あります。そんなとき、遠い時代の自分の枠を超えた作品に触れると気楽になれる。1000年前から清少納言はエッセイで日頃の軽い愚痴を言っているからいいだろうとか(笑)。
自分の既成概念を壊してくれたとき、新たな扉を開いたような開放感が、創作を進める力になっていますね。
酉島 なるほど、面白いですね。私は時代や国境を越えた作品に触れると、これから書こうとしている話がとうに書かれていたりして、高揚しつつももどかしさを感じることがあるんですが、児玉さんは逆にそれが後押しになっているんですね。
既成概念を壊されることで新たな扉が開かれる、という感覚はすごくわかります。昔の作品をいろいろ読んでいると、読みやく洗練されていく間に切り捨てられた書き方とか、時代の変化で忘れられた作品がごろごろ転がっていたりして、はっとするような出会いが起きることがある。例えば、アウグスト・モンテローソというグアテマラの作家が、1950年代に書いた「ミスター・テイラー」みたいな短編が大好きなんです。アマゾンで人の干し首が輸出されるようになり、いつしか一大産業ととして南米が高度成長期を迎えるという話です。だんだん人の首の供給が追いつかなくなって、些細な罪でも死刑になるよう法改正が行われたり、患者を治せない医師が重宝されたりして、どんどんディストピアな世界になっていくという。こうした、常識を奇想で換装して社会を風刺するような不条理小説に出会ったときには、脳がぐっと広げられるような感覚になります。
児玉 たしかに現実世界に即しているとアイデアや設定にも限度があるので、古典や奇譚で補う部分もありますよね。もちろん作者としては面白いものを書きたいので、斬新な設定や展開を吸収することは大きなプラスになる。
ただ一方で、どうやって読者に信頼してもらうかで壁に当たることもあります。『大悲千禄本』みたく「観音様は心が広いから腕を切り落としても大丈夫!」的なふわっとした理由は、鑑賞するならまだしも、さすがに今書くとなると投げやりかなと……(苦笑)。
物語も無鉄砲にならないよう、その辺りのバランス感覚は大事だなと思いますね。まあ最終的には、どれだけ読者を信頼するかですが、極力汲み取ってもらえるよう私もいろいろインプットしないと。
酉島 どれだけ突飛な設定や展開でも、その作品に応じたリアリティを押さえるのは大事なんですよね。わたしはどっちかというと設定しすぎてしまうだけに、そういう細かいところをふっとばしてくれる江戸文芸入門として、児玉さんの『江戸POP道中文字栗毛』は、とても参考になりました。まだまだぶっとんだ江戸文学がありそうなので、続刊も期待しています。
児玉 こちらこそ『るん(笑)』のディストピアな世界には、本当に衝撃を受けました。読者にも同じような体験を味わってもらえたら嬉しいですね。
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