2024.3.6
自分や家族の「もしものとき」に備えるための一家に一冊必携書!【亀谷航平さん×白﨑加純さん『命の教科書 東大クイズ王医師×聖路加救急医療チームが伝える!『もしも』のときの基礎知識』刊行記念特別対談 】
事故や病気は、あなたや、あなたの大切な人をいつ何時襲うかわかりません。
話題の新刊『命の教科書』は、コミックで紹介する事例とともにわかりやすく解説する、一家に一冊必携の書籍。
著者の亀谷航平氏と白﨑加純氏に、起案のきっかけから本書で伝えたいことなどを語っていただきました。
構成・文/宮本恵理子
撮影/馬場わかな
救急医療は人間ドラマ
-- 突然の病や事故によって訪れる「命の危機」は、誰にとっても他人事ではありません。待ったなしの救急医療の現場で何が起きているのか、その局面で迫られる究極の選択に備えて今からできることは何かを、第一線で活躍する医療者の視点で読みやすく書かれた『命の教科書』が話題となっています。多忙な業務の合間を縫って執筆に挑まれたお二人が込めた思いをじっくり伺います。まず、医師を志した経緯と出版に至った動機をお聞かせください。
亀谷航平(以下、亀谷) 私は2021年から新宿にある国立国際医療研究センター病院に感染症内科にて内科・感染症診療全般に関わっているほか、週1-2日の在宅医療にも携わっています。もともと好奇心旺盛なタイプで、人と関わるのが好きな性格を活かそうと医師の道を選びました。
東大医学部卒業後は、早く一人前になろうと、実践的な研修で有名な沖縄県立中部病院に進みました。そこで待っていたのは想像を絶するほどハードな研修医生活で、毎朝5時半に起床して夜遅くまで働くのに加え、3-4日に1回の当直をこなす日々。救急や病棟において膨大な量の現場経験に圧倒されながら、医療は常にリアルな人間ドラマと隣り合わせであることを知り、辛くもやりがいのある生活に没頭していきました。最後の1年は石垣島やその周辺離島に勤務いたしましたが、地域唯一の新型コロナウイルス関連の担当者であったこともあり、日常業務に加え行政との打ち合わせや、重症者のヘリコプター搬送などが重なり、なかなか休めない日々が続きました。沖縄には計5年間お世話になりましたが、私の人生を決定づける濃密な経験をさせていただきました。
忙しい日々を過ごすにつれて膨らんでいったのが、「もっと患者さんやその家族に、命についての考えを事前に持っておいていただく必要がある」という焦燥感にも似た思いでした。こうした現場に身をおいていますと、突然命に関わる選択を迫られた方や家族さんを日常的にお見かけします。もちろん、私自身がそうした選択を突きつけねばならないこともしばしばあります。
「あまり時間が残っていないかもしれません。救命処置について、どの程度ご希望されますか」。その日初めてお会いする家族さんに、このようなことを伝えなければならないのは、非常に心苦しく、何度やっても慣れることはありません。
このような状況で混乱することなく、正常な判断力を保てる人がどれだけいるでしょうか。しかも、そういう瞬間は、往々にして突然やってきます。そんな現場を繰り返し経験する中で、「事前に患者さんと家族の間で準備ができていたら、皆が納得する意思決定が出来たはずだ」という悔しい思いも数多くしてきました。それと同時に、「医療を提供する側も、もっと患者さんやご家族と意思疎通できる体制を整えるべきではないか」という問題意識が芽生え、少しずつ積み重なっていきました。1年ほど前に「よし、本を書こう」と一念発起し、自ら売り込んで出版が決まりました。同業である妻の白﨑とも意見が一致し、共著という形で書き上げました。
白﨑加純(以下、白﨑) 私は福井県の農家に生まれ、医療とは無縁の環境で育ちました。医師を目指したきっかけは、高校1年生のときに経験した祖父の死です。転倒骨折で運ばれた病院でステージ4の肺がんが見つかり、医療の選択を迫られました。今となれば、緩和的な治療のほうが祖父の病状に適していたのではないかと思うのですが、当時は私を含めた親族に医療の知識がなかったので、「治療をすれば癌が治るかもしれない」と最後の望みをかけて、主治医の反対を押し切って手術や抗がん剤を含む全ての治療をお願いしたんですね。結果、祖父の体力は抗がん剤と手術の影響でガクンと落ち、回復しないまま入院から1ヶ月ほどで亡くなってしまいました。このときの悔しさが、「医療の本質を知る専門家になりたい」という目標につながりました。
金沢大学(医薬保健学域医学類)に進んだ当初は、母が患っていた糖尿病の治療に貢献したいと糖尿病内科を志望していたのですが、大学4年生の時に父が交通事故に遭い、集中治療を受けることに。ドクターヘリを飛ばすかというほど危ない状態だったそうですが、救急医療に対応できる近くの病院が受け入れてくださって、一命を取り留めました。
このときの担当医が、救急医療に力を入れている福井県立病院で経験を積んだ先生だったことから関心を持って調べてみると、同病院に「北米型ER」の体制を導入した寺澤秀一先生という大家がいらっしゃることを知ったのです。
「救急医はどんな病気のどんな患者も受け入れる。その意味で、“本当のお医者さん”だ」という言葉に触れ、ぜひこの先生のもとで学びたいと考えたのですが、残念ながら寺澤先生はすでに現場から退かれていました。
ならば先生が研鑽を積まれた病院で私も研修をしようと、初期研修先として選択したのが沖縄県立中部病院でした。ここで夫の亀谷とも出会ったわけですが、彼が言うように救急医療は人間ドラマの連続でした。
救急医療は緊急のケガや病気で困った患者さんを受け入れるものですが、病気の周辺にある家族問題やお金の問題も見えてくることが多いんですね。介護疲れで頻繁に救急車を呼んでしまうご家族がいるなど、患者さんご本人だけでなく、家族が抱える問題もあります。ソーシャルワーカーさんなど他職種と連携しながら、病気以外の心配事も解決して社会に戻すサポートまですることが救急医療の役割であると感じています。
研修後は、沖縄県立中部病院と同じように、軽症者から重症者まですべて救急科が受け入れる体制を整えている聖路加国際病院に入職し、今に至ります。
コロナウイルスのパンデミックの中で
-- お二人に共通するのが、救急医療と密接に関わる「一人ひとりの人生」を重視する姿勢ですね。白﨑さんが出版の必要性を感じたきっかけはなんでしたか?
白﨑 直接的なきっかけとなったのは、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)のパンデミックです。私が勤務する聖路加国際病院は、流行初期の患者さんから受け入れ、第二波、第三波……と繰り返す感染拡大に対応する受け皿となった医療施設です。私は救急集中治療医として、救急車のサイレンが止まない緊急事態の渦中にいました。
高齢者だけでなく、30〜50代の働き盛りの方々が突然コロナを発症して、人工呼吸器を装着して、ご家族も面会できない。生き延びたとしても肺がボロボロになって日常復帰がすぐには難しかったり、当時はコロナ罹患に対する後ろめたさも抱えたりと、身体的な回復だけではない問題が複雑に絡んでいました。中には「病院の外に出ると不安だから、退院させたくない」とおっしゃるご家族もいて……。
「ご家族が抱えるこうしたストレスは、治療が終わった後も続いているのではないか」と考え、調べてみたところ国内外でほとんど研究がされていなかったんです。患者さんの後遺症に関する研究はある程度進んでいるのですが、ご家族のサポートにつながる研究はほぼ皆無でした。
そこで自分で研究した結果、重症コロナで退院した約4割のご家族が、退院後1年以上経過した後も何らかの精神症状を訴えていることが分かりました。「入院中に使える制度の知識がなくて困った」「不安な気持ちをどう解決したらいいか、相談先が分からなかった」「収入が途絶え、お金の工面に苦労した」などです。一方で、家族間で事前に準備をしておけば未然に防げた問題も多いという発見がありました。
家族ケアの研究を進めていくうちに、フランスでは「Family information leaflet」といって、集中治療室に入院する時に、救急集中治療の一般的な知識をまとめたパンフレットを家族にお渡しする取り組みがされていることを知りました。リーフレットを渡すことで、家族が抱える不安を軽減できる可能性があるかもしれないと。このリーフレットからヒントを得て、入院する前の元気なうちからできる救急医療の備えについて、具体的なアクションを1冊にまとめ、いつでも参照できる情報として形にしようと筆をとりました。
-- たしかに、本の中には「突然意識を失ったときに備えて、緊急連絡先を書いたメモを持ち歩く」「リハビリの効果を高めるために、日頃から筋肉を鍛えておく」など、すぐに実践できそうなヒントが紹介されています。
亀谷 どれも誰でも思いつくような“あたりまえ”の提案かもしれません。でも、その“あたりまえ”がいざというときに効いてくるのだという事実を、医療の専門家である私たちが強調することに意味があると思っています。