2019.2.22
Jリーグ開幕! 昨季のMVP家長昭博が語る王者フロンターレと自身の現在地
MVPで分かったのは、 自分が何も変わらないこと
川崎は04年にJ1に再昇格してから17年まで2位が四度、3位が二度(2ステージ制の年の第1・2ステージの順位も含む)。頂点近くまでは辿り着くものの、そこで息切れしてしまう。タイトルをつかみきれないクラブだった。
「僕は川崎に来て初めて(優勝にあと一歩で届かなかったという)歴史を知った。川崎の印象は川崎らしい攻撃的なサッカーが確立されているということ。そして生え抜きの選手がチームを愛していて、チームのために献身的に動いている。(中村)憲剛さんがこれだけ長くチームを引っ張っているのに、まだタイトルを獲れていなかったとは思わなかった」
家長が加入した17年、川崎はルヴァン杯決勝に進出している。川崎にとって00年、07年、09年に続く、四度目の決勝戦だった。
「決勝の前、選手たちが憲剛さんにカップを掲げて欲しいというコメントをしているのを聞いて、みんなそういう気持ちでやっているんやなとあらためて感じた」
しかし、川崎はセレッソ大阪に敗れ、またもタイトル獲得を逃した。家長はガンバ大阪時代の05年にリーグ、07年にカップ戦で優勝を経験している。ガンバと比べて、川崎に足りないものはあったのだろうか。
「それは分からないです。僕自身は優勝するため、優勝を目的にやってきただけなので」
17年シーズン、優勝争いは最終戦までもつれ込んだ。そして川崎は得失点差で鹿島アントラーズを上回り、初優勝を成し遂げた。優勝が決まった瞬間、チームメイトの喜ぶ姿をはっきりと覚えている。
「優勝した後に見たのは、このクラブに賭けてきた人の顔でした。ぼくは(川崎在籍)一年目で優勝できたし、生え抜きの選手のように苦しんでもいない。優勝の重みが全然違うんだろうなと感じていました」
翌18年シーズン、川崎は二連覇を成し遂げ、家長は年間MVPに選出された。彼の才能にようやく評価が追いついた、とも言える。
「この年齢になっても思うのは、やってみないと分からないこと、なってみないと分からないことがあるということ。そういう意味で(MVPを)獲ってみて思ったのは、何も変わらないということ。もちろん、周りからの見られ方というのは多少変わったかもしれない。でも、日常生活の中で変わったことは何ひとつなかった。それを自分自身、感じられたことは良かったなと思ってます」
Jリーガーとして頂点を極めた今、選手として何に価値を置いているのか――。
「表現として難しいんですけれど、僕自身として生きたいように生きたい。サッカーなんで楽しみたいじゃないですか? 楽しめるサッカーをやらせてもらうためには勝利が必要になってくる。この世界って、負けたら(周囲が)納得しない。そういうものに大きく左右される。でも、左右されたくないじゃないですか。自分がやりたいことをするために勝つ。ポジションとかフォーメーションとかどうでもいい。勝利することによって全てを納得させられる。それがベストやなと感じる。だから、勝ち続けなければならない。それがモチベーションになってます」
そして自分に言い聞かせるようにこう呟いた。
「自分らしく生きるためには勝たないといけない」
それが天才と称された男が辿り着いた境地なのだろう。二度の優勝を経て、川崎はひとつの壁を越えたのだろうか。
「優勝することの壁は越えたと思うんですけれど、また違う壁がやってきている気がします。つまり今年も(リーグで)優勝しないといけない。これまでは優勝しておめでとうってなってましたけど、これからは(リーグ)優勝に加えて、ひとつ以上タイトルを獲らないといいシーズンだったねと認めてもらえない。その壁のほうが難しくて、高い。リーグ、カップ戦、天皇杯、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)、全部獲りに行きます。求められているところはそこだと思うし、それを目指したい」
19年シーズンは2月22日から開幕。家長と川崎の新たな挑戦が始まる。
(プロフィール)
いえなが・あきひろ/1986年生まれ、京都府出身。32歳。G大阪の下部組織を経て、2004年にトップチームデビュー。11年にスペイン1部・マジョルカに移籍。 韓国1部・蔚山現代などを経て、14年から大宮でプレー。17 年に川崎に加入し、 昨季はMVP、ベストイレブンを獲得。 173 ㎝、70㎏。左利きのMF。日本代表3試合・0得点