2021.8.23
振り向いてくれない美人教師
夏休みの終わり頃、テニス部の練習に出ていた時のことだ。部活の顧問に言いつけられて、体育倉庫まで用具をとりにいった。
僕の中学校では、テニスコートから倉庫へ移動するには、柔道場の裏を左へ折れるのが近道だ。その細い道を通りつつ、角を曲がろうとしたところ。
進行方向の反対、つまり右手の方に人影が見えた。柔道場の脇に、女の人がぼんやり背中を向けて立っている。後ろ姿とはいえ、見覚えのある髪型と背格好、そしていつものスーツ姿だったので、すぐに誰なのかわかった。
美人のトダ先生だ。
教師とすれ違ったら挨拶をするのが、わが校のルール。僕のような運動部の生徒だったら、なおさらだ。
「こんにちは!」
少し離れていても聞こえるよう、元気よく声をかけた。
でも先生は、まったく振り返ろうとしない。というか、僕の声に反応している様子がないのだ。聞こえなかったかと思ってもう一度、大声を出してみる。
「先生、こんにちはあ!」
やはり向こうはじっと立ちつくしたまま。少しムキになった僕は、近づいてみようと一歩だけ踏み出した。けど、そこでなんだか足が止まってしまった。
さすがにちょっと様子がおかしい。トダ先生は運動部の顧問じゃないし、夏休みの学校のこんな裏道にいること自体が変じゃないか。
そしてなにより、相手が泣いていると感じたから。
両手を垂らして、ぴくりとも動かない後ろ姿が、なんでそう見えるのかわからない。
でもとにかく(あ、この人、泣いてる)という直感が走ったのだ。
大人が泣いているのなんて、テレビでしか見たことがない。ましてや自分の学校の教師だ。とたんに気持ちがひるんだ僕は、体育倉庫の方へと踵を返した。
少し歩いてから振り返ると、先生の姿が消えていた。
数秒でいなくなれるような場所ではない。真夏なのに、体中が寒くなった。