2021.8.9
川の上流から流れてくるもの
長野県のある山に、友人と二人、イワナを釣りに行った時のこと。
渓流釣りは山の奥へと入らなくてはいけない。途中から道なき道の藪をこいでいき、目当ての淵に出る。ポイントをずらすため、僕と友人とで離れた場所に移動した。あとはそれぞれ、一人ぼっちで川の流れに身を浸すだけだ。
しかし、この日の釣果はかんばしくなかった。事前情報でも評判のよい川のはずだが、いつまでたってもボウズのまま。
そろそろ西日が山の端に隠れようとしている。夕間暮れになれば、魚たちも活発になるだろう。せめて一匹は、と焦りながら、魚影と水流に目をこらしていた時だった。
青みがかった物体が、ふわふわと川上から流れてきた。一見して魚の類でなく、なにかの人工物だとわかった。こんな上流にまでゴミを捨てるやつがいるのか……。あきれつつも、川の中ほどに歩を進め、それを拾い上げる。
メガネだった。黒に近い青色のフレームで、片側のレンズにヒビが入っている。釣り人が転んで落としたものだろう。
後で自分のゴミとまとめようと、岸辺の平たい石に置いておく。
それから十分ほど経っただろうか。岩陰にキャストしようとしたところで、竿をにぎる手が止まった。すぐ先を、青黒く小さな物が流れてきたからだ。
おそるおそる拾ってみて驚いた。先ほどと同じメガネではないか。レンズの割れ方まで全く一緒。とっさに川辺の石を確認したが、その上にはなにも載っていない。
背筋が寒くなった。握っていたメガネは、思いきり背後の林へ放り捨てた。
いったん友人のところへ合流しよう。踵を返しかけたとたん、また川面を流れるそれが目に入った。
とぷん、とぷん。浮き沈みする青黒いフレーム。
そこで気づいてしまった。
あのメガネは、そうだ。三年前まで親しくしていた、釣り仲間の一人、あいつがかけていたものだ。