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「産め、働け、そして輝け」は簡単じゃない。女性が仕事をしていく上で、大切なこととは。

「産め、働け、そして輝け」は簡単じゃない。女性が仕事をしていく上で、大切なこととは。

「仕事って楽しい」という経験を 小さくても積んで

浜田 ところで中島さんはいくつかのお仕事を経て、39歳で小説家デビューされています。言わば好きなことを職業として実現されたわけですが、今の若い女性には「好きなことがわからない」という人が多い。だから、悩みが深くなるようです。

中島 私の場合、「夢がかなうまでに時間がかかってしまった」という問題がありますが(笑)。

浜田 今はリベラルな教育だから、親は子どもに「好きなことを仕事にしなさい」とよく言います。でも一方では「それは危ないからやめなさい」みたいなことも言う。そうすると子どもは「これを好きと言っていいのか?」とか「そもそも好きって何?」という気持ちになって、大人になってから「やりたいことがない」ともがくように。私はそういう方からの相談をよく受けますが、「とりあえず消去法で考えてみたら」と言っています。たとえば私の場合、人に教えるのは苦手だけど、アポをとって人に会うのは苦じゃない。だから営業は向いているかも、とか。

中島 確かに、好きなことを仕事にできているという私の状況は幸せだと思います。書きながらボロボロになりますけど(笑)。小説家という職業はちょっと特殊なので、いいアドバイスができるかわかりませんが、今の若い女性の場合「結婚後も共稼ぎじゃないとやっていけない」という前提がある。やりたいことを仕事にするのは、簡単ではないかもしれませんね。

浜田 学生側もそれがわかっているから、仕事を選ぶときに保険をかけるんです。長く働きたいからいろいろな制度が整っている会社にしようとか、総合職でやれるのに転勤を避けるために一般職を選ぶとか。その気持ちは理解できますが、「好きな仕事、もしくは好きなものに囲まれた環境なら多少のイヤなことは我慢できるんじゃないの?」と言いたくなるときがあって。もちろん長時間労働など、NGはありますが。「制度重視で会社を選んで働き続けられるのか」という疑問も、私の中で常にあります。

中島 学生のうちは、世の中にどんな仕事があるのかよくわからない。だから産休をしっかり取れるとか、そういうことで会社を選ぶのはある意味当然だと思うんです。入社してから仕事の特徴や具体的な内容を知って、自分のやれることを探していく、というやり方で。ただ、おそらくそのためには、会社のほうが入ってくる人たちにいい機会を与えないといけない。

浜田 そうですね。いくつかのパターンを用意してあげるとか、チャンスを与えるとか。そうやって「仕事って楽しい」という体験を小さくても積んでいけば、女性も働き続けていくと思います。振り返ってみると、私の同世代はそういう体験がなかなかできなかったせいか、上司からセクハラを受けると「こんなことをされてまで仕事はしたくない」と言って辞めた女性が多かった。その後転職するのではなく、家庭に入る人がほとんどだったのは、「できれば専業主婦になりたい」という気持ちが強かったのかなという気がします。

中島 私もやりがいを見つけることは大事だと思います。でも、やっぱりセクハラで辞めてしまうのは女性が悪いからじゃない。セクハラ自体が悪いし、辞めるような気持ちにさせた会社が悪い。今の日本は女性が働かないと回っていかない社会になっているのだから、やはり早急に環境を整備すべきなんです。それに、いい会社、いい環境といっても人によっていろいろな受け止め方があるのではないでしょうか。人間関係が良好だとか、この上司とは何かやれそうな気がする、とか。居心地の良さを感じていれば、女性は辞めないと思います。

浜田 そうですね。自分にとって何が大事なのか、考えてみたほうがいいですね。中島さんは96年から1年間アメリカでインターン・ティーチャーをされたそうですが、働き方や環境について感じられたことはありましたか。

中島 私が行ったのはワシントン州のわりと保守的な街で、のんびりした雰囲気でした。小学校で働きましたが、校長先生が女性で、ほかの先生もほとんどが女性でしたね。私が「アメリカはすごく違うな」と感じたのは、「こういうことをやりたい」と言うと、すぐに「じゃあどうしようか」という具体的な話になるところ。日本ではそういう場合、まず「NO」みたいな返事が返ってくると思うんです。アメリカでは「やりたい」と言わないと何にも考えていない人、やる気のない人という扱いになるくらい。「自分からやりたいと言っていいんだ」と思ったら、すごく気持ちが楽になりました。

小説家になるのは、オバさんになるまで待とう!?

浜田 学生時代から小説をお書きになっていたそうですが、小説家になりたいというお気持ちはずっと変わらなかったのですか。

中島 そうですね。アメリカに行く前は出版社で雑誌の編集をしていましたが、あまりにも忙しくて小説を書けなかったんです。それで「このままこの仕事を続けていくの?」と思うようになって。世間から見たらいい仕事だし、お給料も悪くなかったので、辞めるときは本当に悩みました。ただ、辞めると決めてからも大変で。

浜田 私にも経験がありますが、周囲がいろいろ言ってきますよね。

中島 そうなんです。「なんで辞めるの?」だけじゃなくて、「会社員じゃなくなるなんて、そんな崖から飛び降りるようなことを」とか、アメリカに行くと言うと「МBAでも取るのか?」とか。でも会社から離れてみたら、いかにそこが狭い世界だったかわかりました。

浜田 男性の場合、家族を支えなければならなかったり、住宅ローンを抱えていたりするから、そういう考え方になってしまうかもしれませんね。

中島 実はこの間考えたんですけど、私のデビューが遅かったのは、最初のセクハラの話に近いことが理由かもしれない。デビューして若い女性作家になることが、とても怖かったんです。デビューさせてもらえるかどうかもわからないのに(笑)。

浜田 それはどういうことでしょう?

中島 最近はかなり変わったと思いますが、80年代くらいまでは「女性作家は自分の恋愛や性体験を書くのが望ましい」という雰囲気があったと思うんです。

浜田 確かに。

中島 編集の仕事をしていたので、出版業界の“おじさんたち”のそういう空気を感じることがあったんです。でも、自分がそこでうまく泳いでいくということが到底考えられなかった。なんかどんよりした、セクハラこそ文学、みたいなのがありました(笑)。自分の書きたい小説と、いわゆる「小説の業界が若い女子に望むこと」にギャップがあって、「オバサンになるまで待とう」と思ったんですね。

浜田 今考えれば、39歳は全然オバサンじゃないのに(笑)。

浜田敬子氏
浜田敬子氏

中島 そうなんです。一方では「文学賞に応募するなら戦略を考えたほうがいいのだろうか」とか、よけいなことをいろいろ考えて、頭がゴチャゴチャになってしまった。そんなときに会社を辞めてアメリカに行って、ちょっと冷静になれたんです。帰国後は「とにかく自分が今読みたいものを書こう」という気持ちになりました。そして書き上げた小説を本にしたくてたまらなくなって、ある出版社に持ち込んだ。それがデビューのきっかけです。

浜田 自分の中で機が熟したんですね。 

中島 もうこれ以上待てないという気持ちでした。

浜田 それはすごいことですよね。普通、自分より若い人がデビューしたら焦りそうなのに。

中島 もちろんものすごく焦りました。でもそれも、よけいなことのひとつだと思うようになったんですね。

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新刊紹介

浜田敬子

はまだ・けいこ●1966年山口県生まれ。ジャーナリスト。上智大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」編集部を経て、1999年から「AERA」編集部。2014年に女性初の「AERA」編集長に就任。17年に退社し「Business Insider Japan」統括編集長に就任、20年末に退任。テレビ朝日「羽鳥慎一モーニンショー」、TBS「サンデーモーニング」などでコメンテーターを務めるほか、ダイバーシティに関しての講演を行う。著書に『働く女子と罪悪感』(集英社)がある。

中島京子

なかじま・きょうこ●1964年東京生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。早稲田国際日本語学校、出版社勤務を経て1996年にインターンシップ・プログラムスで渡米。翌年帰国、フリーライターとなる。2003年『FUTON』で小説家デビュー。2010年『小さいおうち』で第143回直木三十五賞受賞。14年『妻が椎茸だったころ』で第42回泉鏡花文学賞受賞。15年『かたづの!』で第3回河合隼雄物語賞・第4回歴史時代作家クラブ作品賞・第28回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞、『長いお別れ』で第10回中央公論文芸賞・第5回日本医療小説大賞をそれぞれ受賞、2020年『夢見る帝国図書館』で第30回紫式部文学賞を受賞、2022年『ムーンライト・イン』『やさしい猫』で第72回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、2022年『やさしい猫』で第56回吉川英治文学賞受賞。
著書に、小説『イトウの恋』『平成大家族』『ゴースト』『キッドの運命』『オリーブの実るころ』、エッセイ『ワンダーランドに卒業はない』などがある。

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