2021.11.19
逢坂剛×酒井順子“博報堂出身作家”対談 「自分をかわいがると、どんな仕事でも楽しみが見つかる」
作家の副業にも寛容だったリベラルな社風
酒井 逢坂さんは博報堂の仕事もとても楽しそうにされている印象がありましたが……。
逢坂 いや、そのとおり。楽しかったですよ。
酒井 そうでもないときもあったんですか?
逢坂 いやあ、記憶にないね。私だけが楽しかったんじゃなくて、みんな楽しく仕事してたように思いますね、私は。
私の作家業についても、知っている人はもちろん知ってるけど、ちやほやされることはなかったし、嫌みなことを言われた記憶もないんだよね。多分あなたもそうでしょう?
酒井 そうですね。上司が「この雑誌に書いてみたら?」みたいに、仕事を紹介してくれたりとか。海外へのプレスツアーに、広告会社のスタッフ兼書き手として参加させてもらったりとか。
逢坂 そう。その辺は非常にリベラルな会社だった。
作家になってからのプロフィールでは、必ず中央大学を卒業して博報堂入社って書いていたからね。少しでも社名を出そうと思って、広告会社入社と書いてあると、わざわざそれを消して博報堂と書き直した覚えがある。あと、広告代理店と書くところが多かったから、私は必ず広告会社という表記に直した。
酒井 私もそれは、しみ込んでいます。多分、新入社員研修で習ったんです、「代理店ではありません」みたいな感じで。そこだけは義理を通している感じがします。
逢坂 でも、今は広告会社と言うところ多いよね、さすがにね。
酒井 そうですね。博報堂の温かい雰囲気は好きだったんですけど、私、本当に会社員が向いてなくて。
逢坂 どういうところが向いてないと思ったの?
酒井 得意先の身になって物事を考えられなかったんですよ。例えばミツカンという企業の仕事だったら、お酢とかポン酢が売れるためにどうしたらいいか考えなくてはならないわけですが、どうもそれができない……。ミツカンってすごくいい会社で大好きだったんですけど。
逢坂 それは、ミツカンの社員じゃないんだから、しょうがないんじゃないの。
酒井 でも、広告会社ってそれをしなくちゃいけないじゃないですか。先輩から仕事を教わることもなくて、自分で好きにやればというのが多かったですし。
逢坂 見よう見まねで、先輩のやっていることを見て、後からついていくうちに何となく分かるしね。大体ニュースリリースなんて、入って一年もしないうちに、先輩よりうまくなっていたかも。だから企画書も、ごく早くから書かされた覚えがある。
酒井 私も唯一得意だったのが、イベントのプログラムなどに載せる社長挨拶を書くこと。
逢坂 それは得意先の?
酒井 そうです。
逢坂 それはすごいな。
酒井 でも、イベントの企画部分をどうするみたいなところは、全く頭が働かなかったんです。
逢坂 それはやっぱり別の才能なのかな。
酒井 そんなこんなで、自分は自分のことしか考えられないんだということが身に沁みまして。
逢坂 多くはそうですけどね、人間は。
酒井 でも、逢坂さんは仕事はどんな仕事でも楽しんでできたっておっしゃっていましたよね。
逢坂 そうね。それは自分のためなんですよ、結局は。自分が楽しくやらないと、仕事がつまらなくなっちゃうから。自分の好きな仕事だけ、やっているわけにいかないでしょう、会社勤めはね。