2023.2.2
人生後半の豊かさを求めて…『女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住』発売記念! 藤原綾さんインタビュー
東京生まれ東京育ち、好きなことを仕事にして、公私ともに忙しく充実した日々を送っていた編集者でライターの藤原さん。
しかし、父親が突然死したことをきっかけに、地域コミュニティを求めて、鹿児島・霧島への移住を思い立ちます。
移住を決意した頃(2021年7月)から「よみタイ」でエッセイ連載を開始。
戸建て物件探し、引越し、リフォーム、ご近所付き合い、畑仕事、仕事先の東京との往復など、オンタイムで綴る移住体験ルポが、好評を博しました。
この度、その人気連載が1冊にまとまり、著者の藤原さんが上京したタイミングに合わせてインタビューが実現。
移住した理由や移住後の変化、お金のことや、苦労したことなど、「シングル移住」のリアルを根掘り葉掘り聞きました。
(インタビュー/構成 宮本恵理子 撮影/chihiro.)
一人の自由が怖くなった
――東京生まれ・東京育ちの藤原さんがわずかな縁をたどって鹿児島県霧島市への移住を決め、現地での生活を始めるまでの道のりをリアルタイムで綴った『女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住』は、連載中から共感の声が多く寄せられていたそうですね。引越し完了から半年以上経った現在の暮らしはいかがでしょうか?
車の運転にもようやく慣れてきて、近所の方との世間話を楽しむのがすっかり日常になりました。
鹿児島弁は九州でも難解と言われていて、言葉が聞き取れないときも結構あるのですが、早く馴染めるように皆さんのイントネーションの真似をしながら練習しています。
――今日久しぶりにお会いしたという連載担当の編集者が「顔色がツヤツヤになっている!」と驚いていました。
そんなことはないと思いますが、あるとしたらきっと温泉の効果だと思います。わざわざ遠出しなくても、良質の温泉に毎日浸かれるなんて最高の贅沢ですよね。夜は辺りが真っ暗になって静寂に包まれるので、睡眠の質も格段に上がりました。
――そもそも移住を思い立ったきっかけを聞かせてください。ファッション誌の編集ライターとして20代から活躍し、編集者として多岐にわたる仕事に関わりながら、友人知人にも囲まれて、特に不便のない東京生活を送っていた藤原さんが、地方移住を決めたのはなぜだったのでしょう。
両親が亡くなり、兄とも離れて暮らしていて、結婚は一度しましたが今はシングルで子どもなし。一人でなんでも決められる生活は自由で気楽だったのですが、ふとこの「自由」が怖くなったんです。
今はよかったとしても、10年後、20年後、この自由の先にあるのは「孤立」ではないかなと漠然とした不安が積み重なっていって。東京での私の日常を見渡してみると、一見なんでも揃って便利なようで、マンションの隣人とは挨拶をするだけの希薄な人間関係。もしも私が部屋の中で死んだら、誰が発見してくれるのかなと。亡くなる時は誰しも一人ではありますが、何日も見つからないのは自分としてはやはり悲しいですし……。私に必要なのは「地域のコミュニティ」だと気づいて、共同体が生きている地域に自分から入らせていただこうと思うに至りました。
――霧島市を選んだ理由は?
詳しい経緯については本に書いたのですが、決め手は祖母の縁と「大好きな温泉に毎日入れる地域」という条件にフィットしたから。
住んでみて分かったことですが、生活必需品は問題なく手に入り、昔ながらの地域のつながりも生きていて、バランスのいい街でした。のどかな地域にある家屋を購入し、少しずつリフォームしながら終の住処づくりを楽しんでいます。
仕事は変わらず東京中心なのですが、リモートでできる打ち合わせや執筆作業は鹿児島で。多分、近所のおじちゃんやおばちゃんは私が何の仕事をしているか分かっていないかもしれません(笑)。今は1カ月のうち1週間ほど東京に出てきて撮影や取材をギュッとこなすペースにしていますが、できればもう少し鹿児島ライフの割合を増やしていきたいですね。