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アスファルトに緑のコケ!? 豪大陸521キロのアドベンチャーマラソン、最難関132キロで幻覚を見た!

 僕のゴールからしばらく経ち、ハミがゴールへと向かってきた。足を引きずる彼に、僕は大声で完走を祝ってハグをした。

「よかった! ハミ、ゴールおめでとう!」

 ボロボロになったもの同士、お互いをたたえ合った。彼は最終ステージの夜中にチェックポイントで休憩して再スタートした後、逆走していたらしい。幸いにも後続選手と出くわし気づいたらしいが、彼も方向さえわからなくなるほど限界だったのだろう。

 その後も続々と選手がゴールにたどり着いた。みな満身創痍そういだったが、最後は力強くフィニッシュした。日本では情報を入手することが難しい世界中の長距離レースを教えてくれたフランスのフィリップ、英語を話せない僕にも毎日声をかけてくれたムードメーカー、ルクセンブルクのチュン、抜きつ抜かれつでいつも励まし合っていたイタリアのイタ、65歳の高齢にもかかわらず完走し、チャレンジする人間の素晴らしい姿を見せてくれたアルゼンチンのラモン、どれだけ遅くゴールし眠る時間がなくなっても前に進み続けたスペインのカルロス、人がやらない過酷な中東の砂漠レースなどにも挑んでいるイタリアのロベルト、毎日体調や足の状態を診てくれたフランス人ドクターのブルーノ、トラブルがありながらも、この大会をやりきってくれた主催者のジェローム。選手、スタッフ、みんながかけがえのない戦友だ。

 ゴール後はエアーズ・ロックの麓のホテルに宿泊。10日間を戦い終えた僕たちはどでかい肉を食べ、ぐっすりと寝た。夢の中でこのレースを振り返っていた。

 やるぞ!と心に決めるまで相当怖かった。完走できないかもしれないし、日本人がいないことでコミュニケーションがとれないかもしれない。耐え切れないほどのけがや痛みがあるかもしれない。でもいざ飛び込んでみるとなんとかなるものだ。世界には、僕より度胸のある人間がたくさんいる。ハミのように英語ができない人もいたし、僕よりもっと走れない人もいた。それでも彼らはチャレンジを続ける。その魂と度胸を自分も身につけたいと思った。

 練習や装備アイテムの最適化、軽量化など準備をしてきた成果はあったし、なによりもこのレースで大きな経験と自信を得た。それは521キロを走れたという体力的なことより、精神的な部分だ。日本人初、日本人ひとりだけの参加、大学の先輩からの寄付や企業からのシューズや食品の商品提供など、応援していただくことのプレッシャーもあった。それを克服し、この道で勝負し続ける決意がさらに揺るぎなくなった。もちろんレースでは、まだまだやれることはあったが、今回の僕にはこれがすべて、これがベスト。上位選手のほとんどは走ることに何年も何十年も情熱を注いできた40〜50代のランナーだった。何年も走っていると誰だって大きな障害のひとつやふたつはあったはず。辞める理由なんて数え切れないほどあっただろう。それでも辞めずに走り続けてきた日々が、とてつもなく力強い走りになっている。具体的にそんな会話をしたわけではないが、ランナー同士だ。己の限界に挑み走る姿を間近で見ることでそれはすぐにわかる。だから僕がこれからすべきことは、日々を積み重ねることだ。平凡に毎日を過ごすのではなく、1回でも多く勝負すること。失敗して気づきを得ること。そして芯のある強い人間になっていくこと。

 同ホテルでの表彰式。ジェロームや女性スタッフから各選手へ、お祝いの言葉とともにフィニッシャーメダル、Tシャツ、記録証が渡される。順位の下位選手から順にひとりずつ行われていき、男性陣はみなジェロームにハグをして女性スタッフとチークキスをしていた。それを見て僕は察した。これが国際的マナーなんだと。そしてチークキス初体験の僕の番が回ってきた。ドキドキだ。初めは右頰なのか、左頰なのか。手は相手の体のどこに添えるのか。考えだすとすべてがわからなくなってくる。だが考えうる限り自然に試みてみる。するとあたりからドッと笑い声があがった。結果は大失敗だったが、少しだけ大人に、少しだけ国際人になった気がした。

RESULT 「ザ・トラック」
日時:2015年5月6日〜5月15日
場所:オーストラリア
距離:521キロ(全9ステージ)
順位:10位(参加者全24名)
合計タイム:79時間38分00秒

「ザ・トラック」のダイジェスト動画もチェック!

過酷すぎる挑戦と挫折、そして成長の記録!

「賞金なし!」「すべて自己責任!」「舞台は、砂漠、荒野、山岳、氷雪、ジャングル!」……そんな世界でもっとも過酷なレース「アドベンチャーマラソン」。日本唯一のプロアドベンチャーランナーとして『情熱大陸』などでも特集され、ここに人生のすべてをかける北田雄夫さんの挑戦と挫折と成長の日々をつづるノンフィクション。

2014~19年までで参加したレースの合計は、なんと、総走行距離5332㎞! 総時間1420時間! 総費用1280万円! 気温差75℃!
貧⾎持ちで小心者、暑さ寒さに弱く⻑距離⾛も苦⼿――そう自認する北田さんは、なぜ「日本人初の7大陸レース走破」を達成することができたのか。そして、なぜその後も更なる極限に挑み続けるのか……!?

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新刊紹介

北田雄夫

きただ・たかお
1984年生まれ、大阪府堺市出身。中学から陸上を始め、近畿大学3年時に4×400メートルリレーで日本選手権3位。
就職後は一度、競技から離れるも「自分の可能性に挑戦したい!」と再び競技を始める。
2014年、30歳からアドベンチャーマラソンに参戦。
17年、日本人として初めて「世界7大陸アドベンチャーマラソン走破」を達成。
現在は「世界4大極地の最高峰レース走破」にチャレンジ中。

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