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「結婚はめでたいものというよりも、決意を称えられるべきものなのかもしれない」〜書評家・三宅香帆さんが選ぶ「いい夫婦の日に読みたい本」

夫婦の間に生まれる軋轢と向き合う 『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ)

 ノーベル賞作家による、ある老夫婦の物語。『いくつもの週末』が同棲し始めたばかりの若い夫婦におすすめだとすれば、こちらは酸いも甘いも嚙み分けた夫婦にぜひ読んでほしい小説だ。
……でもページをめくったら、拍子抜けするかもしれない。あらすじだけ読むと、なんだか単純なファンタジー小説に見えるからだ。夫婦なんて、何の関係もない話に思える。

 物語の舞台は、アーサー王伝説を下敷きにした世界。ブリテン島においては、アーサー王の統治した時代の平和が、崩れつつあった。ブリトン人とサクソン人の間には、亀裂が入りかけていたのである。
 そんななかで、あるブリトン人の老夫婦が旅をしていた。
 ふたりの目的は、息子を探すこと。彼はむかし、自分たちの村を去ってしまったのだ。
老夫婦は長い旅をする。そのなかでさまざまな仲間と出会う。しかしそのうち明らかになる。彼らは、「過去の記憶を忘れている」ことが。
 息子が出て行った理由。このような国になった契機。そして自分たちの夫婦の間に起こった出来事。それらをすべて、夫婦、そしてその国の民は忘れてしまっているのだった。いや、忘れてしまったというよりは、過去の記憶をわざわざ掘り起こす意味がない、ということになっている。

 さて、老夫婦の長い旅路はどこへ辿り着くのか。彼らの記憶は、何を見せるのか。
 この小説の面白いところは、ファンタジーな世界観で展開する話なのに、実はものすごく現実的な夫婦の物語であること。

 長い間いっしょにいれば、きっと、「忘れたほうがうまくいく」出来事は降り積もる。それは家族において、避けられないことかもしれない。しかし、はたして過去に自分がしたことを、本当になかったことにしていいのか? 過去を忘れることは、それを消え去ることと同じなのか? そんな問いかけをする小説なのだ。
 主人公の老夫婦は、長年連れ添った、一見とても仲の良いふたりだ。むしろ普通の夫婦よりも仲良く見える。しかし、その夫婦の間に、決定的な傷があったことが、物語を読み進めていくと分かる。その傷にどうやってふたりは向かい合うのか。それとも、向かい合わないほうが楽なのか。
 夫婦の間に、どうしても生じてしまう軋轢に対して、どう向き合うのか。――美しい語り口を読みつつ、そんなことを考えさせられる小説なのだ。

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三宅香帆さんが薦める夫婦本、いかがでしたか?
この冬は夫婦で読書会を開いてみると、新たな関係性や絆が生まれるかもしれません。

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三宅香帆

みやけ・かほ●文筆家・批評家
作家・書評家。1994年高知県生れ。大学院時代の専門は万葉集。著書に『妄想とツッコミでよむ万葉集』『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文』『女の子の謎を解く』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』など。

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