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日本人初参加! 豪大陸521キロのアドベンチャーマラソン、成長を感じた前半戦と美しすぎる星空

「アドベンチャーマラソン」を知っていますか?
アドベンチャーマラソンとは、砂漠、荒野、山岳、氷雪、ジャングル……世界の極地を舞台にした“世界でもっとも過酷”なレース。ランナーは寝袋や食料などを背負いながら、数日間かけ数百キロの道程を走り、タイムを競います。

そんな過酷なレースに、日本唯一のプロアドベンチャーランナーとして挑み続けているのが、北田雄夫さん。10月に発売された『地球のはしからはしまで走って考えたこと』は、北田さんが日本人として初めて世界7大陸を走破するまでや、その後、4大極地最高峰レースに挑戦する様子をまとめた本人初の著書。

今回のその本の中から、著者にとって思い入れの強いレースだったという、日本人初参加の2015年、オーストラリアの荒野での「The Track(ザ・トラック)」への挑戦(単行本の3章)を全3回に分けてお届けします。

前回の「準備編」では、参加費のやりくりや装備の準備など、現地へ旅立つまでの苦労が語られました。今回の第2回は「レース 前編」。いよいよ全521キロ9日間にわたる戦いがスタートします!

※書籍から一部抜粋・再編集しています。
(構成/よみタイ編集部)
日本人初挑戦となった2015年の「ザ・トラック」。北田さんにとって、アドベンチャーマラソン3大陸目のレースとなった。
日本人初挑戦となった2015年の「ザ・トラック」。北田さんにとって、アドベンチャーマラソン3大陸目のレースとなった。

12ヶ国24名のライバルたちとの戦い

 2015年5月2日。関西国際空港発の中国南方航空に乗る手続きを済ませ、時間に余裕を持って搭乗口へと向かう。だが途中の手荷物検査場で、レース参加に必須となるサバイバルナイフを没収されてしまった。手荷物で持ち込めないのを忘れていたうっかりミスだが、出発早々ついてない。その後、中国の広州、オーストラリアのパースで2回乗り継ぎ、集合場所となるアリススプリングスへと到着した。ナイフを買い足してから、街中にある待ち合わせ場所のホテルへと向かった。そこで初めて主催者であるフランス人のジェロームと会った。175センチほどの背丈にたくましい胸と腕、外国人独特のナチュラルな茶色い髪にひげ、青い瞳の精悍せいかんな男性で、声も低く男らしい。素敵な色気を漂わせる人物だった。日本人として初参加となる僕を快く迎えてくれた。彼以外には、ドクターとスタッフ合わせて男女10人ほどがいた。みなヨーロッパ人のようだった。

 参加選手は12ヶ国から計24人。欧州や南米の40〜50代が多かった。体型といい、顔立ちといい、みな明らかに経験豊富なランナーだ。31歳の僕は全参加者中2番目に若く、最年少は29歳の韓国人、ハミだった。彼は2014年の「ゴビ・マーチ」にも参加し、全体23位でゴールしており、トレードマークの赤い髪が印象的だったのですぐにわかった。「ゴビ・マーチにも参加していたよね? 僕も参加していたんだ」

 ハミはニコニコして「うん。僕も覚えてるよ」と返事をしてくれた。同じアジア人。仲良くなれそうな選手がいてホッとした。背丈は僕と同じくらいだが、足も上半身もがっちりとした体格。そしてとっても純粋でやさしそうな表情をしている。

 女性ランナーは4人。その中に「ゴビ・マーチ」で女性のトップ、全体でも18位だったメキシコのイシスもいた。スペイン語がわからない(英語もできないのだから当然だ)僕は、簡単な挨拶だけしかできなかったが、ふたりとも、「ゴビ・マーチ」では僕よりも上位でフィニッシュしていたすごいランナーだ。僕の合計タイム47時間よりも、およそ10時間も速い。

 その後、一同は貸切バスに乗り込みスタート地点となるキャンプ場へと向かった。車中では、英語、フランス語、スペイン語など、多言語が飛び交う。みな社交的で近くの人とコミュニケーションをとっていた。慣れない英語で話しかける勇気もない僕は、静かに風景を楽しんで過ごした。窓の外には日本では見かけることのない赤茶色の荒野が広がり、「明後日からきっとこんな場所を走るんだろう」と、レースのイメージをする。見たこともない景色に出会えるワクワク感が膨らんでいった。

 到着したのは緑に囲まれた小さなキャンプ場だった。強い日差しが降り注ぎ、気温は30℃。大量のハエがいて、顔や体に常に数十匹が群がってくる。ここでレースに向けて2日間を過ごす。選手が寝泊まりする2人用テントがいくつも張られており、僕はハミと使うこととなった。おそらく年齢と国が近いことで一緒になったのだろう。安心した。夕方からミーティングが始まった。ジェロームからフランス語と英語で説明が行われた。ほとんどわからなかったが、「わからないことは必要ない」、「本当に重要なことはその時に個別に言ってくるだろう」と割り切った。その後、パン、ソーセージ、蒸したじゃがいも、フルーツ、ジュースなどの夕食をとりながらハミと会話をした。すると、わかってきたことがある。彼は僕以上に英語が話せないのだ。衝撃だった。

 英語ができない、コミュニケーションがとれない、そのことが不安で不安でたまらなかった僕。一方、英語ができないことなど物ともせず堂々と参加しているハミ。過酷な世界のレースに挑む選手たちの勇猛果敢さを思い知った。彼らは僕みたいに枝葉のことで躊躇なんてしない。

 翌日は装備チェック。スタッフとドクターのふたり態勢で、ひとつひとつアイテムがレース基準を満たしているかをチェックする。大きなテーブルに装備をすべて広げてみせる。防寒具はあるか、食料は足りているか、ライトやナイフはあるか、メディカルキットは揃っているか。しどろもどろに説明を終え、無事にペナルティもなく通過した。最後にリュック重量を計る。6.9キロだ。他選手に聞くと5〜9キロだったので、真ん中あたり。もう少し軽くするため粉末タイプのスポーツドリンクを減らすことにした。出発してからの3日間、ろくに体を動かしていなかったので多少の不安があるが、気持ちと体調を整えてまずは明日のレースに臨もう。そう自分を落ち着かせて眠りについた。

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北田雄夫

きただ・たかお
1984年生まれ、大阪府堺市出身。中学から陸上を始め、近畿大学3年時に4×400メートルリレーで日本選手権3位。
就職後は一度、競技から離れるも「自分の可能性に挑戦したい!」と再び競技を始める。
2014年、30歳からアドベンチャーマラソンに参戦。
17年、日本人として初めて「世界7大陸アドベンチャーマラソン走破」を達成。
現在は「世界4大極地の最高峰レース走破」にチャレンジ中。

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