2020.10.3
「男らしさ」幻想から抜け出そう 酒を飲まずに楽しく生きる方法
男性のセルフヘルプとAAの共通点
田中:依存症者でなくても、男性のセルフヘルプのグループは実は存在しているんです。メンズリブの動きの中で生まれたのですが、弱音を吐いて、自分たちが男であることでつらかったことや苦しんでいることを、みんなで聞いて共有し合う、そしてちゃんと告白できた人には祝福してあげるという活動が、地道に続いています。
斉藤:それは、AAと似ていますね。AAとは、「アルコホーリクス・アノニマス」という、アメリカで始まったアルコール依存症の人たちが酒をやめるためのセルフヘルプグループです。日本にもたくさんの自助グループがあって、依存症の人たちが、決まった時間と場所で集まり、12のステップを使って回復に取り組んでいます。
AAには「認めて」「信じて」「お任せ」という三つのステップがあります。自分はアルコール依存症であること、酒を自分でコントロールしようとしたけど、結局、酒にコントロールされていた、そういう現実があることを、まずちゃんと認めようというのが、無力を認めるという最初のステップです。
その次は自分を超えた大きな力(ハイヤーパワー)を信じるということです。依存症の人たちの多くは、人間関係の中で逆境体験を経験しています。でも人間はさまざまな過去がある上に、今の自分があるわけです。そんなつらい過去もいったん受け入れ、目に見えない大きな力を信じてみようというステップです。私はここに仲間を信じるということも入っていると考えています。
最後はお任せで、手放すステップとも言われますが、今まで自分が正しいと思っていた価値観から自由になろうということです。「ハイヤーパワー」という目に見えない大きな流れに自分の生き方を委ねる。
この三つのステップを経ていくことで今日一日、酒が止まる。酒が必要じゃない生き方、酔わなくてもいい生き方を獲得することができる。もしかしたら、男らしさからの解放にも、こういう三つのステップが重要なのかもしれません。
群れられない男たち
田中:僕はサラリーマンや定年退職者の聞き取り調査をやっていてわかったんですが、友達を信じて任せようと思っても、サラリーマンってそもそも友達がいないんですよ。一緒に飲みに行っている人は、友達と呼べるような相手ではないんですよね。酒の力を借りて盛り上がっているだけなので、「実は本当は…… 」みたいな話はできないんです。
趣味があれば、その趣味の仲間と趣味の活動を通じながら、悩みを吐露することができるかもしれません。そして、「認めて、信じて、任せる」ということができるかもしれません。
だから、その三つのステップをどう実装していくか、どこからどう手を付けていけばいいのかとなると、難しいかもしれないですね。アルコールの問題にしても、行政がその相談窓口として機能することは、あまり現実的ではないだろうなと思います。
斉藤:男性は相談しないでしょうね。以前、ある自治体で性暴力の講演をしたときにもその話になりました。男性は、相談窓口を作っても相談してくれないんですよ、って。その団体は相談員の方が全員女性だったので、相談員に男性も加えたほうがいいのかもしれないということで、男性スタッフに入ってもらったりもしたのだけれど、それでも結局相談自体が来ないから、やめてしまったと。
田中:全国には男女共同参画センターというのがあるんですが、そうした電話相談窓口にも、電話をかけてくるのはほとんど女性なんです。
男女共同参画センターは、1999年に男女共同参画社会基本法ができて改組されたのですが、前身は女性センターなんですよね。もともとは女性が対象として作られたのですから、そもそも男性専門の窓口というのは限りなく少ない。そのうえ相談自体が来ない。利用者のいないものに行政は予算を割かないので、相談窓口は少ないまま。少ないので認知されることもなく、男性固有の問題を受けて、例えばどういった機関につないでいくか、というようなノウハウの蓄積もなされないわけです。
ウーマンリブに対してメンズリブが盛り上がらなかったように、男性は自身の生きづらさや葛藤を、表面化しづらいのが現状ですよね。
斉藤:なぜ、メンズリブの運動は盛り上がらないのでしょうか。
田中:ウーマンリブが続く理由は明白で、女性は差別を受ける側だから、その被差別性がある程度明白なのです。例えば、賃金の格差一つ取ってみても、正社員の女性と男性とを比べると7対10で、これに対する怒りを共有できる人はかなりいる。
でも、男性の問題は、社会の中で優位な側だから訴えにくい。「実は、これは問題なんです」といっても、「いや、女性のほうが大変ですよね」とか、「セクシュアル・マイノリティはもっと大変です」という話になりがちだし、本人たちも優位な側にいるから自覚しにくいということもある。だから、つながりをつくろうといったときにも、問題設定がしにくい。それは男性学の理解がなかなか進まない現状ともつながってきます。
田中:先述した男性学の伊藤公雄先生たちが90年代にメンズフェスティバルという男性が集まる大会を開いたときのキャッチフレーズが、「もっと群れよう、男たち」だったんです。最初は、男だからということで共通認識を持って集まってわいわいできるんですけど、だんだん、メンズリブのグループの中で、お互いの違いがわかってきてしまう。
まず世代による問題意識の違い。90年代当時だと、若い層はオタクの問題を扱いたいと考えているのに、上の世代は夫婦関係や仕事のことを扱いたい、あるいはもっとこの社会を変えていくんだという意識を持っていた。そもそも同性愛者の人もいるから、同性愛/異性愛という違いが際立ってきたりもしました。
最初は、男というだけで、もっと一緒に群れようと言っていたんですが、男が男だというだけで群れようとしても、やっぱり駄目で瓦解していくんです。あとは、メンズリブ運動に限らないですが、「誰がリーダーなの? 」「誰が仕切るの? 」「あいつ、むかつくよね」「あいつ、威張ってるよね」という話になっていく。