2020.9.12
爪を隠さず見せびらかす鷹男~それならスピッツ聞いていた方がマシな話
爪を隠すどころか、スカルプばりに目立つ爪で過ごす男、女からするとそのお爪が大変鼻につきます。
業界用語というほどでもないが新聞記者は結構“ネグる”という言葉を濫用する人が多くて、10年以上前にただの新入社員だった私は、先輩からのメール画面にある「それはネグリで」という言葉がいまいちなんのことかわからず、というのもその前の年、東大に講演に来るはずだったアントニオ・ネグリという学者が政治犯として捕まった過去のせいでビザの申請が間に合わずにドタキャンしたという事件があって、別に私はそのネグリにも特に造詣が深くはないのだけど、とにかくよくわからない哲学者とよくわからないマスコミ用語の間でロストイントランスレーション状態になって「んん?」と唸った。
で、隣でドラクエの新作やりながら見ていた彼氏が、「それはマルチチュードのネグリじゃなくてneglectの意味だね」と言った、というのが私がその彼に対して持つ唯一のポジティブな思い出でもあり、男の知識はこの程度のチラ見せがちょうどいいしこれ以上見せたらキモいというある種のメルクマールになっている場面でもある。
ちなみに何故一年半は付き合った彼に関するいい思い出がこんなしょうもない一場面しかないのかというと、その約半年後に別れ話が縺れたら、この東大卒の男が私の出演するAVを実家、父親の研究室、母親が講師をしていた女子大にご丁寧に郵送してくれたり、甲州街道をストロングゼロを両手に怒鳴り散らしながら追いかけて来たり、私の所属記者クラブがあった都庁の前まで包丁持参でやってきたりしたからなのだけど、その話は非常に長くなるし、私だって毎回毎回自分の男選びの不味さを露呈したくもなければ人に爆笑されたくもないのでとりあえず置いておいて、とにかくネグリの件はここでは好例として紹介しておく。
さて、ネグリと聞いてネグレクトよりアントニオを想起するのは文系の大学院に入院中の、それもだいぶカルテが長くなっちゃったタイプの男くらいだと思うのだけど、そういった男も雑に分けると大体2類型いる。
大学院に、東大グラデュエートと書いておけばとりあえずAVとかの過去が帳消しになるんじゃないだろうかという打算で入ってくる私みたいなタイプはどちらかというと少ないようで、建物には全体的に、「かつての同輩が派手な業界に入ってバリバリお金を稼いでいたり、医者となって人の命を救ったりしているというのに、今日も図書館で重箱の隅をつくようなことを調べている俺に生きている意味はあるのだろうか」という卑屈さと、「でも何も考えずに恥ずかしげもなく頭がパーになりそうなバラエティをつくったり、CAと合コンしながらブラジルのマグロの金勘定をしていたりするような世の中の多くの馬鹿よりも俺の方が絶対高尚な人間」という傲慢さとが充満している。
で、2類型というのは要するに、前者の卑屈さが強いか、後者の傲慢さが強いか、で分かれるわけで、要するに心の奥底にスノッブな選民意識を持ちつつ大まかに卑屈で暗めか、大きなコンプレックスと卑屈さを胃の裏に隠しつつ偉そうに威張ってるか、のどっちかが多い。
地獄みたいな二択だけど、みんなが華やかな世界で華やかな生活してる間に大宅壮一文庫の片隅で時代の大分水嶺にもならないようなささやかな発見に喜ぶダメな俺、でもそんな自分が好き、とかなりながら家では意外とスピッツとか聞いている前者の方が、膨大なルサンチマンを知識と理論武装で隠そうとする後者よりは幾分マシである。