2020.9.6
【怪談動画付き】カーナビに導かれた先は…『海の怪』より「言われるがまま」
『海の怪』で語った18篇の中でも、特に印象深いのがこの出来事だ。
カーナビの無機質な声に導かれるままあの場所にたどり着いたとき、車内にいた全員が息を呑んだ。あの一瞬の沈黙と、張り詰めた空気感が忘れられない。
本当に怖いとき、人間は「キャー」なんて声は出せない。息を呑むだけ。それがよくわかった。
カーナビの発祥をたどると、船のGPSに行き着く。
大航海時代から、船乗りの最大の問題と関心は「今、自分はどこにいるのか」ということだ。それがわからなくなったら、もうアウト。どこへ向かっているのか、どこへ辿り着くのか不明のまま、孤独で絶望的な大海の旅へと放たれる。
航海術は、現在地を割り出すために生まれた。そして、太陽の位置や潮の流れを調べたり、クロノメーターなどの器具を開発したりと、ずっと進化を続けてきた。そのなかで、発達したのがGPSだ。現代では、自動車以上に船になくてはならないものになっている。
僕は今まで、3隻のヨットと、3隻のモータークルーザーを所有したが、最初に買った24フィートのヨットにはGPSがついていなかった。今ならスマホでも問題ないが、当時の僕はこのヨットに乗るときは、携帯用の小さなGPSを持参するようにしていた。
目的地に向かう間、GPSに表示される緯度と経度を、点を打って海図に記していく。これによって、帰りに向かうべき角度が判明するので、復路はこの逆をたどればいいということになる。
晴れていれば周辺に岬などが見えるので、近海なら目視でも行けるが、視界が閉ざされてしまうとそうはいかない。あるとき、復路でスコールに見舞われ、まったく視界がきかなくなったことがある。しかし、海図に航路を記していたため、どうにか難を逃れて出発点へと辿り着いた。GPSに救われたのだ。船乗りにとって、GPSの有無は、命の行く末を左右する。
ところが、この頼みのGPSが稀に狂うことがある。
イタリア南部、長靴の甲のあたりに、トロペアという中世の面影を残す街がある。そこから西へ船で100kmほど進むと、火山列島と呼ばれるエオリア諸島が見えてくる。
2014年と15年の夏、僕は2年続けてエオリア諸島に行った。一度目は家族と、二度目は船仲間たちとのクルーズだ。
しかし、実はこれらの航海時に、二度ともGPSやデジタル航海機器に不具合が生じたのだ。
一度目は、トロペアでヨットを借りて、自分で操縦をして家族と現地へ向かった。7つの島々の一番東、ストロンボリ島の沖合でそれは起こった。
はじめは、何かちょっと違うな、という淡い違和感だった。GPSを観て想像する風景と目の前の風景が合致しないのだ。
それが、次のパナレア島に行く途中で確信に変わった。GPSのモニター画面で、自分の船が陸の上を進んでいることになっているのだ。
表示を変えることはできないので、ずれていることを認識したうえで、どちらの方向に何mずらせばいいか、アナログな方法で割り出しながら進んでいく。想像の中で船首を正しい方向へ向かせて、無事に船を目的地のリパリ島に着岸させることができた。
二度目は、船仲間と行ったリパリ島の帰り、オートパイロットの設定が済んで寛いでいるときに気づいた。
オートパイロットとは、進むべき方位と角度を設定してボタンを押すと、その角度に船が自動的に進んでいくというシステムだ。海が穏やかで、風向きが一定のときにしか使えないが、舵輪を握る必要がないのでのんびりと過ごせる。数値を入れて設定を完了したら、あとはクルー達の人生相談に乗り、馬鹿話に花を咲かせていればいい。
しかし、ふと周囲を見回すと、そこは自分が記憶している風景ではなかった。
僕はいつもクルー達に、港を出るときは、必ず自分の目で風景を覚えておくようにと強く言っている。沖合で振り向いたとしても、どこから出てきたのかわからなくなってしまうことがままあるからだ。岸壁と岸壁が重なり合って、そこに空間があるはずなのに、まるで門が閉ざされたように全部繋がって見える。
僕は港を出るとき、進行方向に向かいながらも、真後ろがどのような風景で、どう変化していくのか必ず目視確認している。前の風景、真後ろの風景、左右の風景。進行につれ景色がどう移っていくか、目で記憶して頭に叩き込む。
そうやって一週間前の出航時に記憶した景色と、目の前の景色がどんどんずれていく。オートパイロットの数値はすべて正確に合わせたはずだ。去年の経験もあるので、違和感をそのままにせず、海図を持ってきてクルーを集め、「今、我々はどこにいるのか」を考えた。
海図、GPS、オートパイロット、何が誤っているのかがわからなければ、正確な場所はつかめない。さまざまな数値を比較検討した結果、犯人はオートパイロットだとわかった。突如として40度もずれが生じていたのだ。
みんなで知恵を絞って無事に帰港することができたが、もし気づいていなければ北アフリカに上陸していたところだ。