2020.9.5
承認欲求型ヤリマン女〜尻軽にも色々学ぶことがある話
ちなみに私は20歳から24歳くらいまで人生のセックス過剰期があって、それまで一応、好きな人とか彼氏とかに絞っていた対象のタガが外れて、俗に言うヤリマン的性生活に堕ちてたのだけど、わかりやすく消極型というか、飲み会の帰りにタクシーで送ってもらっちゃっただけに「ホテル寄らない?」と言われて断りにくいとか、飲み会でほんのり好きだった代理店の男に「悪いんだけどあの先輩と帰ってくれない?」とか言われて涙を飲み込んで知らないおじさんとやはりホテルに凸るとか、簡単に言うと自己主張のない穴って感じだった。
でも「本当は嫌でした」の後出しジャンケンをしないのが、一応消極型ヤリマンの品格だと思っているのでこうやってせめてネタにして自分の人生はゴミのようだけど完全なるゴミではない、と思い込んでいるわけです。
話がそれると延々とそれるのが女の悪いところなので本筋に戻すと、積極型と消極型、ここまではわかりやすい。
ただ、そのポジとネガの間、冷静のちょっと上、情熱のちょっと下、自分本位と他人本位の融合したグラデーション部分にこそ、複雑で微妙なヤリマンたちが混在するわけである。
セックスが好きってわけでもないけどしたくないわけでもないし、誰とでもっていうわけじゃないけど誰かっていうわけでもない。
ヤリマンと言われるのは心外だがお世辞にも貞淑とは言い難い。
その、点在する色んなヤリマンをいくつかあげてみると、まず、セックスすることで何かしらの得、オーディションで後押ししてもらうとかつぎの査定で評価をあげてもらうとかグッチのローファーを買ってもらうとかをしようとする目的遂行型、或いはエッチさせてあげることで自分が立場上優位に立てると信じるワタシノ身体ハ生贄型、といったあざとい者たちのクラスタがある。
売春をものすごく広義で捉えるとこれらも入るわけだけど、身体とセックスを資本と捉えて記憶力とか学歴とかタイピング能力とかよりずっと効果的な飛び道具として使うわけだから賢いっちゃ賢い。
次に、本当は彼女になりたくて、相手のこと全然好きなんだけど、彼女にしてもらえないが故に、セフレ即ち「恋人じゃない男の人に日夜股を開いている」女になってしまっている不本意型、「愛してるなんて本気でエッチしたら」次の日から相手が音信不通になったりアポが取りにくくなったりする一夜の夢型、といった不幸な人たちのクラスタがある。
この人たちが一番ヤリマン意識がないので、ヤリマン呼ばわりすると怒る。
恋人同士の甘いセックスから、男の恋愛感情を引いたものがこれであって、当の女たちのしていることはあんまり変わらない。でも本命になれないので適当なところで見切りをつける、を繰り返し、結果的にはヤリマン。
そして、モテとヤりたいを混同して、色んな男に抱かれるイコール男に愛されることのような気がして気軽に身体を振りまくピーポーたちのクラスタがいる。
ヤリたい女、というか正確にはヤレそうな女、と思われることを、いい女と思われることと綺麗に見紛って、お色気むんむんでいかにもヤれまっせという格好をして、お声がかかればそのまま時の流れに身をまかせ。多くは十代からハタチくらいの若気の至り型だが、男にとってのヤリたいが、幸せにしたいとは全然違う場所で生まれる感情であり、全然違う場所どころか往々にして真反対の場所だったりすることに大人になっても気づかない人たち、未だに抱かれることが魅力を認められることだと思いたい人たちが、自分の価値を実感するために、夜毎男に口説かれる。
これが承認欲求型ヤリマン。
この世で最も自己評価と他人による評価に開きのある人々です。
この承認欲求型ヤリマン、面倒臭いのは要約すれば「今夜俺の射精に付き合ってよ」というだけの男の口説き文句をいちいちうわべ通りに解釈するので、「あの人にも一緒にいてこんなに楽しい子はいないって言われた」「その人にも出会った中で一番可愛いって言われた」というモテてモテてリンダ困っちゃうなぁトークを聞いてあげないといけないことで、「それ、やりたいっていう意味じゃないかなぁ」とかなり脇が甘めのジャブで横槍を入れてみても、「私なぜか友達と思ってた男にもそういう対象で見られちゃって、色気がすごいもんとか言われちゃうんだよねぇ」と音無可憐さんばりの強めストレートで返されるので基本的にそっかそっかと聞くしかない。