2021.7.29
直木賞作家・朝井リョウさんが、しんどさに襲われた時『ちいかわ』と『不寛容論』を読む理由
前回は、料理人で飲食店プロデューサー・稲田俊輔さんの愛読書として、食エッセイの名作を紹介しました。
今回は、『何者』で直木賞を受賞した小説家・朝井リョウさんが、思春期の読書体験を振り返りつつ、しんどさに襲われた時に読む本を紹介してくださいます。
語彙が溶けるほどかわいい『ちいかわ』
しんどいときに読みたい本――この条件で真っ先に思い浮かぶのは、本当のことを言うと『ちいかわ なんか小さくてかわいいやつ』である。目視した瞬間「かわいい!!!!!」というシンプルかつ巨大な感情が爆発し、抱いていたしんどさが相対的に豆粒と化すからである。とにかくかわいい。たまらない。いつだって読んでいたい、というか視界に入れていたい。
ただ『ちいかわ』は、この直前の文章でもわかるように、“それについて語ろうとすると語彙が溶ける”という非常に特殊な本なので、このエッセイで主に扱うのは別の本とする。ちなみに語彙が溶けるのはそのあまりの愛らしさ故なのだが、エピソードによっては現実を超えたシビアさや不条理、恐怖すら感じる描写もあり、一筋縄ではいかないところも興味深い――と意外と言葉が溢れ出てきてしまったところで、『ちいかわ』の話は畳ませていただく。毎日読んでます。
『BAD KIDS』を愛読していた中学時代
本、読書。それらの単語からまず想起されるのは、木製の本棚がずらりと並んでいる、地元の駅から歩いて数分の場所にある図書館だ。その一角で、誰にも見つからないようにこっそりとページを捲り続けたあの時間と空間の記憶が、今も私の中で息をしている。
中学生の私はよく、その図書館にいた。親の迎えの車を待つ間だったり受験勉強のためだったりと理由は様々だったが、その場所が私は好きだった。静かだからか、沢山の人がいるにも拘らずそれぞれが抱える秘密は守られているような感覚があって、安心した。
中学生というのは児童書から一般文芸の棚へと足を運び始める時期だ。一般文芸の棚があるゾーンには自由に座れる一人用のソファが設置されていて、そのやわらかそうな座面にはいつも、ブラインドから差し込む光が定規でも添えて引いたかのような直線的な軌跡で進入していた。日光を吸い込んで膨らんでいるように見えるそれに腰を下ろし、私はいつも、『BAD KIDS』シリーズを読んでいた。
そのころの私は、自分が気持ち悪くて仕方なかった。世界のほうに正解があると思っていて、その正解に当てはまらない自分の中身を誰にも探られてはならないと強く感じていた。自分の中にある、間違っている、汚いと感じる部分を、その本だけがすべて受け止めてくれているような気がした。
私はその本を借りることはせず、図書館のソファの上でのみ読んでいた。自分の“よくない”部分を共有してくれている物体を、家族がいる空間に持ち込んではいけないような気がしていた。図書館の一番隅にある、鬼にも見つからない場所でしか、読むことができなかった。