2021.6.27
新しい味の伝道師・稲田俊輔さんが選ぶ、食エッセイの不朽の名作、池波正太郎『むかしの味』
昔を懐かしむために必要なこと
しかし今はそういう時代ではありません。確かに若者の間では時折、新しい食のブームが現れているように見えなくもありません。しかしそれらはパンケーキにせよタピオカにせよ、食べる前から味の予想が付く定番の焼き直しばかりに見えます。あまり大きな話題にはなりませんが、世間の片隅で野心的な売り手によってもたらされる新しく本格的な食べ物に反応しているのは、むしろ四十代以降の、しかも限られた層だけという実感もあります。それが若者世代をも巻き込んで大きな潮流になることもそうそう無さそうです。
池波正太郎氏がもしまだ存命で、今の時代に再び「むかしの味」に関して記すことがあったなら、決してあのように殊更古いものだけを礼賛することはできなかったのではないだろうか。そう僕は想像します。
僕がかつて『むかしの味』を読んだとき、そこに違和感も反感も感じることなく、ただただそれまで自分の知らなかった価値観や美意識を、
(おもしろい……)
と、素直に楽しむことができたのは、そこに一貫して流れるダンディズム故でした。
(どうせいつか年をとるならこんな爺になりたい……)
という憧れだったと言い換えてもいいかもしれません。
僕は昨今の日本の潮流に従って、少なくともあと二、三十年は老人になることを拒絶して生きていきたいと思っていますが、もし晴れてその日が来たならば、かつての池波翁のようにひたすら新しいものを拒絶して古いものを称賛する頑迷なジジイとしての余生を過ごしたいものです。願わくばその時までに、それをやっても嫌がられないだけのダンディズムは身に付けたいものですが、それはどうなることやら。
しかしいずれにせよそのためには、世の中がまた再び新しい文化を貪欲に取り入れつつ遮二無二に前進する状況になってないとあまり意味が無いようにも思います。
頼むぜ、世の中。
*「しんどい時によみタイ」特集連載一覧
●第1回 川村エミコさん
●第2回 スズキナオさん
●第3回 菅野久美子さん
●第4回 読書猿さん