2021.6.27
新しい味の伝道師・稲田俊輔さんが選ぶ、食エッセイの不朽の名作、池波正太郎『むかしの味』
「新しい味」に日本中が夢中になった
この本を読んだ頃、僕はとにかくいつでも「新しい食べ物」に夢中でした。流行のレストラン、次々に日本上陸する外国の食べ物、革新的な切り口の日本料理、そういったものが常に憧れの対象だったのです。しかしこの本において「最新の本格的なフランス料理店」は、旨いんだけどどの店も旨さが同じだね、と切って捨てられます。そのかわりに著者は昔ながらの洋食屋で日本酒をやりながら帆立貝のコキールと薄いカツレツを堪能します。
このエピソードは衝撃でした。僕としては「昔ながらの洋食屋」こそ、どこも同じようなメニューで同じような味を提供する店としか認識していなかったからです。この本は他にもそういう自分がすっかり知っているつもりになっていて、それが故につまらないものと決めつけていた食べ物が、かけがえのないものとして次々と賞賛されていました。
この本が書かれた時代は、日本が貪欲に新しい文化を取り入れる時代でした。食の世界においてもこの後空前のグルメブームが到来し、人々は次々に登場する目新しい食べ物に片っ端から飛びついていきます。そんな大きな流れの中で池波氏は、ややもすると失われかねない「むかしの味」を身を挺して守ろうとした、そんな気がします。逆に言えば、前進する日本に盤石の信頼を置いていた、だからこそ心置きなく頑迷な老人というヒールを演じ切れたのではないかと思うのです。
ところで先ほどから老人老人と繰り返し書いていますが、池波正太郎氏は初出の連載当時まだ五十代。今の感覚だと老人呼ばわりは失礼ですが、昭和はそういう時代だったんだろうと思います。なにせサザエさんの磯野波平が五十四歳の設定です。今あんな五十四歳いませんよね。
今の日本人がいくつになっても若々しいのは基本的には幸せなことだと思いますが、同時に、中年が若者を、老人が青年を、演じ切らねばいけないような切迫感も感じます。
『むかしの味』が書かれた時代において、新しい味の開拓は常に若者によって先導されていたはずです。中年や老人はそれに必死に食らいついて適応するか、古いものにそのまましがみつくかしかありませんでした。