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新しい味の伝道師・稲田俊輔さんが選ぶ、食エッセイの不朽の名作、池波正太郎『むかしの味』

新しい味の伝道師・稲田俊輔さんが選ぶ、食エッセイの不朽の名作、池波正太郎『むかしの味』

「新しい味」に日本中が夢中になった

 この本を読んだ頃、僕はとにかくいつでも「新しい食べ物」に夢中でした。流行のレストラン、次々に日本上陸する外国の食べ物、革新的な切り口の日本料理、そういったものが常に憧れの対象だったのです。しかしこの本において「最新の本格的なフランス料理店」は、旨いんだけどどの店も旨さが同じだね、と切って捨てられます。そのかわりに著者は昔ながらの洋食屋で日本酒をやりながら帆立貝のコキールと薄いカツレツを堪能します。
 このエピソードは衝撃でした。僕としては「昔ながらの洋食屋」こそ、どこも同じようなメニューで同じような味を提供する店としか認識していなかったからです。この本は他にもそういう自分がすっかり知っているつもりになっていて、それが故につまらないものと決めつけていた食べ物が、かけがえのないものとして次々と賞賛されていました。

 この本が書かれた時代は、日本が貪欲に新しい文化を取り入れる時代でした。食の世界においてもこの後空前のグルメブームが到来し、人々は次々に登場する目新しい食べ物に片っ端から飛びついていきます。そんな大きな流れの中で池波氏は、ややもすると失われかねない「むかしの味」を身を挺して守ろうとした、そんな気がします。逆に言えば、前進する日本に盤石の信頼を置いていた、だからこそ心置きなく頑迷な老人というヒールを演じ切れたのではないかと思うのです。

 ところで先ほどから老人老人と繰り返し書いていますが、池波正太郎氏は初出の連載当時まだ五十代。今の感覚だと老人呼ばわりは失礼ですが、昭和はそういう時代だったんだろうと思います。なにせサザエさんの磯野波平が五十四歳の設定です。今あんな五十四歳いませんよね。
 今の日本人がいくつになっても若々しいのは基本的には幸せなことだと思いますが、同時に、中年が若者を、老人が青年を、演じ切らねばいけないような切迫感も感じます。
『むかしの味』が書かれた時代において、新しい味の開拓は常に若者によって先導されていたはずです。中年や老人はそれに必死に食らいついて適応するか、古いものにそのまましがみつくかしかありませんでした。

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新刊紹介

稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人/飲食店プロデュ―サー/「エリックサウス」総料理長。
鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。南インド料理とミールスブームの火付け役となる。
SNSで情報を発信し、レシピ本、エッセイ、小説、新書と多岐にわたる執筆活動で知られる。
レシピ本『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『ミニマル料理』シリーズ、エッセイ『おいしいもので できている』『食いしん坊のお悩み相談』『異国の味』、小説『キッチンが呼んでる!』、新書『お客さん物語』『料理人という仕事』『食の本 ある料理人の読書録』など著書多数。最新刊は『東西の味』。

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