2021.3.30
桜木紫乃×オザワミカ いつか母に忘れられ、やがて子を忘れる母になる――絵本『いつかあなたをわすれても』刊行記念対談
昨年発売された『家族じまい』に次いで、直木賞作家・桜木紫乃さんが“娘を忘れてしまった母”を描いた、著者初となる絵本です。
絵を担当したのは、イラストレーター・オザワミカさん。
北海道在住の桜木さんと、神奈川県在住のオザワさん、編集者を介して文章と絵のラリーを続けてきたおふたりが、今回、オンラインで念願の初対面を果たしました。
(構成/村上早苗)
絵本描かない?に「文だったら書けるよ」
桜木紫乃さん(以下、桜木) この本の担当編集者から、絵本を描かないかっていう依頼が来た時、「私、絵は描けないよ」って答えたんです。そしたら、「絵じゃなくて文だ」と言うから、「文だったら何とかなるかな」って軽い気持ちでお引き受けしたの。お誘いも軽くて、「You、やっちゃいなよ」っていう感じだったし(笑)。
オザワミカさん(以下、オザワ) 私も、たぶん飲んでいる席で出た話で、「きっと実現しないんだろうな」と思っていました。まさか、直木賞作家さんと絵本を作るという話が自分に来るとは思っていなかったので。
桜木 担当編集者がオザワさんの絵をとても気に入っていて、何か機会があればとずっと思っていたそうですよ。私も、初めてオザワさんの絵を見た時「これはいい! この人しかいない!」と即決でした。編集者いわく、候補に他の方のイラストも見せてくれたらしいんだけど、その記憶もないくらい。
オザワ ありがたいです。いきなり涙出てきちゃった。
桜木 絵本は初めてのことだから自信もなくて。でも“初めて”って、そんなに体験できることではないし、1回しかないことなんですよね。だから、この 1 冊をオザワさんに手がけていただいたのは、すごく嬉しかった。うまく言えないんだけど、私この絵が大好きなんですよ。
オザワ 嬉しいです! 本当に申し訳ない話なんですが、私 40 歳過ぎてから全然本が読めなくなってしまって。もちろん桜木さんのお名前は知っていたんですけど、このお話をいただいて、初めて『ホテルローヤル』を読んだんです。その時、「ひだの深い話を、ねっとり書かず、いい意味ですごくドライに、爽やかに書かれる方だな」と思いました。この湿度の方が書く話だったら、私は(絵を)描けるかもしれないって。
桜木 あぁ、嬉しい!
オザワ それに、編集者さんから、桜木さんが「(子どもが親に対して)私を忘れていいよ」 というのをテーマにしたいとおっしゃっていると聞いたのも大きかったです。子育てを始めた頃に、私の最終的な仕事は、この子を手放すことだなと思って。だから「これは、絶対やりたい!」と、お受けした次第です。
桜木 オザワさん、やっぱり私が思っていた通りの人。この企画、「母が私のことを認識しなくなってしまったけれど、それが悲しくなかったんだよね」って、編集者に話したのがスタートになっているんですよ。なんかね、母と娘の着地点が近づいてきたなという感じで、全然悲しくなかったの。それがきっかけで、『家族じまい』も書いたんです。
幻のゼロ稿があった
桜木 実は、初稿は、認知症になってしまった母を、私の年齢に近い娘の視点で書いたものだったんですよ。でもそこには、文章にしないとわからなかった、自分の中のわだかまりがあった。人に手渡してはいけないくらいの客観性のなさ。だから受け取った編集者ふたりは戸惑ったと思います。彼らは相当気を遣いながら、「絵本は幅広い世代が手に取るものだし、とくにこのテーマは子どもから大人まで多くの人に伝えたいから」って、“最善のダメ出し”をしてくれました。
オザワ そんなことがあったんですか。
桜木 そうなの。自分の思ったことを並べているだけでは、小説はもちろん歌詞にも詩にもならないし、特に絵本という共同作業には向かないって、ものすごく反省しましたね。この一件でドライブがかかって、「絵本」ということを意識したんですよ。編集者にここまで気を遣わせるほどダメな原稿を渡してしまったことに対する悔いとか、恥ずかしさも感じましたね。それで、思春期にさしかかるかどうかという孫娘が、その子のママとおばあちゃんを語るという形になったんです。
オザワ 私は逆で、最初は絵本であるということをすごく意識して描きました。ちょっと意識しすぎてしまったくらいで。
桜木 最初は、すごくかわいらしい絵でしたよね。
オザワ そうなんです。それからしばらくして、コロナ禍でいろいろなことがあって、「ちゃんと自分で生きないと」と思うようになって。そこで絵本の第一稿を見直したら、「これは自分じゃない」って思ってしまった。
桜木 それで、自分らしい絵を意識するようになった……。
オザワ 編集者さんが常に「後世に残る絵本にしましょう」と、お声がけくださっていたのも大きかったです。最初は「桜木さんのサポートができれば」という気持ちだったんですけど、「いや、もう桜木さんの胸を借りて私もオモテに出よう」って思えたというか。
桜木 いやいや、そんな。お貸しできるほどの胸じゃないって。
オザワ それで、「私の絵を描こう」と切り替えて、今の絵のベースになるものに変えたんですよね。そこから、「もっと子どもが入り込める要素を盛り込めないか」とか「(語り手の) 女のコの年齢をもう少し下げられないか」といったやりとりが編集者さんとの間であって、いろいろ調整しました。
桜木 オザワさんも、私と同じように、編集者の言うところの“原点”という名のボツをかましていたとは。