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センバツ開催中! 智弁学園(奈良)、大切な人の遺骨を身につけホームランを打った昨年のリードオフマン

最後の勇姿を見ることなく天国へ

 三田が甲子園に出るために選んだのが、強豪の智弁学園だった。山本は言う。

「いろいろな学校から誘いはあったんですが、どうやったら甲子園に行けるのかと考えた末に、『智弁学園が甲子園に近い』と思って、奈良まで来たと言っていましたね」

 世界少年野球大会で日本代表に選ばれた経験のある三田は智弁学園で順調に成長し、試合出場の機会を得た。二年生の夏の甲子園ではベンチ入りし、一度だけ打席に立っている。

 しかし、バットを振ることはできなかった。

「そのころ、颯太くんの病状がよくなくて、病室でテレビを見ていたようです。三田くんは代打で出たけどガチガチに緊張して、見逃し三振で終わりました。試合のあとも、颯太くんは病室でずっと、三田くんの記事や映像を見ていたそうです」

 見逃し三振に終わった三田を颯太くんは励ました。彼の言葉を聞いたときのことを三田はこう振り返る。

「『練習してまた甲子園に行って打ったらいい』と言われて、そこで落ち込まずに、もう一回頑張ろうという気持ちになりました」

 気持ちも新たに臨んだ秋季奈良大会、近畿大会。三田は二番ショートで打率2割8分6厘、2本塁打、3盗塁の活躍を見せて、チームのベスト4進出に貢献。翌春のセンバツの出場権をたぐり寄せた。
 もう一度、甲子園のグラウンドに立てる! 今度こそ、活躍する姿を見せたい!
 そう思っていた三田に悲しい知らせが届いた……。11月、颯太くんはセンバツでのいとこの雄姿を見ることなく天国へと旅立った。
 三田は修学旅行をキャンセルして群馬に戻った。幼いころからずっと一緒に野球をしてきたいとこの葬儀に立ち会い、見送った。山本は言う。

「颯太くんは小さいころから背が高くて、地元では有名なピッチャーだったそうです」

 幼いころのふたりは、一緒に甲子園に行こう! 一緒にプロ野球選手になろう! そう語り合った日もあった。ひとりは病に襲われ、野球を奪われた――そのいとこの分まで頑張ろうと三田は思った。

 しかし、春のセンバツは開催直前に中止になった。その発表を受けて、チームの中でもっとも落ち込んでいたのが三田だった。

「キャプテンの白石陸くんに聞いたのですが、センバツがなくなったときに三田くんが一番落ち込んでいたそうです。夏の甲子園中止が決まったときもそう。それだけ、三田くんは甲子園にかけていたんだと思います」

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