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陰謀論者はなぜ暗殺を恐れないのか? 私たちが「生活史」の語りから学ぶべきもの

『名もなき王国』や『忘れられたその場所で、』などの著書で知られる作家の倉数茂さんによる、〈物語〉をめぐるエッセイの後編です。

前編では、ベネッセ・コーポレーションに新卒で入社し、進研ゼミの漫画を作っていた際に学んだ「物語のパターン」について論じていただきました。
今回は「陰謀論」「生活史」「自助グループ」等をキーワードに考察しています。
イラスト/みやままひろ
イラスト/みやままひろ

陰謀論者はなぜ暗殺を恐れないのか?

前回、今のネットは無数の情報の「かけら」が浮遊して、くっつくことで無数の物語が誕生する「物語の海」なのではと言いました。そしてウイルスが変異するように、物語はどんどん変化しながら、増殖していきます。その大半はすぐに忘れられますが、中にはバズって、それを本当に信じる人たちも出てきます。陰謀論やフェイクニュースは悪性のウイルスのようなものです。小説や映画のような「フィクション」とは違って、ネットに浮遊する物語は、部分的に事実だったりするので厄介ですし、100%信じなくても、おもしろがり、話題にするだけで社会は影響を受けます。

わたしは以前から、陰謀論者の心理が不可解でした。もし世界の主要政府がトカゲ人間によって支配されているとしましょう。プーチンもバイデンも岸田首相さえ、傀儡に過ぎず、裏で彼らを操っているのはシリウス星からやってきた青い血の流れるトカゲ人間なのだとしたら!(雑)

もしわたしがこのことを知ったら、決してSNSで大々的に「真実」を公表したりしません。そんなことをして何の得があるというのでしょう? 「よく気がつきましたね」と誰かがご褒美(100億円)をくれるわけでもなく、それよりも裏の組織のさしがねで仕事を失い、銀行口座は止められ、近所には怪文書がばら撒かれ、最後に駅のホームで突き飛ばされて命を失う可能性の方が多そうです。冷血トカゲ人間ですから、それくらいのことは平気でしてみせるでしょう。

けれどガチの陰謀論者は、ネットで恐るべき真実を公表し、仲間を募り、時には街頭デモにまで繰り出します。普通に考えて、大変なリスクです。職場で上司に口答えするだけで動悸が激しくなるのに、どうして地球の支配者に逆らおうなんて思えるのでしょう。そんな「真実」なんて気づかなかったことにして、ストロングゼロでも飲んで寝てしまう方がいいに決まっています。支配者が誰だろうと明日もどうせ残業なのだし…転職してえ…。こっちの方が真っ当な労働者のあり方です。

ひとつ考えられるのは、陰謀論者はすべてネタでやっているのだという解釈です。本気で信じているわけではなく、ジョークとして陰謀を語っているだけだと考えるのはどうでしょうか。

しかし、陰謀論者の行動を見ていると、明らかにガチで信じている人がいるのは間違いありません。寄付をしていたり、職場で孤立していたり、さらに友だちや家族を失う危険だってあります。軽いお遊び感覚ではとてもできません。その人たちは本気で陰謀を信じている。この世界や社会が本当に悪の集団によって牛耳られていると考えている。でも自分の身に危険が及ぶとは感じていない。いったいこれはどういう矛盾なのか?

陰謀論の語りには「自分」がすっぽり抜け落ちている。わたしはそのように考えています。陰謀論者は真剣に社会を憂い、様々な情報を集め──結局それが偏っているのですが──本気で世の中をただすために闘っている。けれども、なぜかそこから生身の「自分」が抜け落ちてしまう。これが陰謀論を成り立たせるメカニズムだと思うのです。

それはビデオゲームをやっているのに似ています。ゲームの中で強大な敵と戦う。そのために睡眠時間を削り、友達と遊びに行くのを諦め、膨大な時間と労力を費やす。けれど、戦いで死んだり傷ついたりするのはあくまでゲームの中のキャラクターであって、プレイヤーの生身の身体は無傷です。だから自分の全能感はそのまま残ります。ビデオゲームで起きる生身のプレイヤーとゲーム内のキャラクターへの自己の分裂が、なぜか陰謀論者でも発生しています。

そもそも拡散する物語にはパターンがある。シンプルでわかりやすく、善悪がはっきりしていること。真実味はあまり重要ではありません。典型的なのは敵と味方がはっきりした勧善懲悪のストーリーであり、敵の部分には政府だったり、環境活動家だったり、外国人だったり、ネトウヨだったりが入ることでしょう。要は個別の対象を入れ替えていくことで、いくらでも似たような物語を作ることができるわけです。

そしてこのような物語は物事をスッキリとわかりやすくしてくれます。ネットの物語を信じることでそれまで混沌としていてよくわからなかったものが急に見通しが良くなります。それならば、社会が複雑化するにつれ、物語の誘惑は大きくなるでしょう。

また物語は「参加感覚」も与えてくれます。SNSで見かけたポストをリポストするだけで、自分は勧善懲悪の「善」の側に参加したことになります。これもまた「ゲーム感覚」です。

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倉数茂

1969年生まれ。大学院修了後、中国大陸の大学で5年間日本文学を教える。帰国後の2011年、第1回ピュアフル小説賞「大賞」を受賞した『黒揚羽の夏』でデビュー。18年に刊行された『名もなき王国』で第39回日本SF大賞、第32回三島由紀夫賞にダブルノミネート。

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