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陰謀論者はなぜ暗殺を恐れないのか? 私たちが「生活史」の語りから学ぶべきもの

生活史の語り

実は今、ある理由で「生活史」のプロジェクトに関わっています。生活史とは誰かにお願いしてその人の人生をじっくりと伺うというものです。社会学者岸政彦さんの編纂した『東京の生活史』が出版されて以来注目が高まっている社会調査の方法です。

調査の対象者は、有名人でもなんでもないごく普通の方々です。ですから、語られるのもごくありふれた人生です。それなのに、これが聞いていると滅法おもしろいのです。平凡な人生などないのだということがよくわかります。

生活史の語りの特徴は、絶えず横にずれていき、何度も修正や語り直しが入ることです。よほど話し慣れていない限り、自分の人生を時系列に沿って整然と語ることなどできません。話題があっちへ行ったりこっちへ行ったり、そして重大な事柄は何度も口にされます。

離婚や肉親の死のような悲惨な出来事にしばしばユーモラスな語り口が伴うのも印象的です。人に自分の過去を語るという行為自体が、どこか過去との距離をもたらし、「遊び」の要素を付け加えるらしいのです(本当にトラウマ的な出来事は人前で語ることはできないのだとも考えられます。トラウマとは、物語化されることなく、断片にとどまる出来事です)。

例えば、わたしが聞いた話に夫が勝手に自分のカードを使って借金をしていた、というエピソードがありました。ある日財布の中のカードがなんか違う。よく見てみると、同じ紫色だけど、クレジットカードの代わりに、全然別の会員証か何かが入っている。それを見た瞬間、やられた!と気がつき、怒りと悔しさで頭の中が真っ白になる。語り手はそのエピソードをを冗談のように話し、こちらも夫のセコさとズルさに思わず笑ってしまいます。そして、こんなディテールどんな小説家にだって思いつけないな、と考えます。

通常、家族や親しい友人でも、あらためて生い立ちを聞かせてもらうことはありません。生活史はそれを他人にしてもらうわけですが、話を聞くと、相手が古い幼馴染のように思えてきます。

生活史を聞いていて思ったことがあります。人が自分について語る時、それは必ず「関係」について語っているのだということです。親との関係、パートナーとの関係、子供との、同僚との関係。それが苦しみに満ちたものであるとき、それは苦しい人生の物語になるし、愛着に満ちていれば優しい物語になります。

人は誰でもこのように自分自身の物語を語り続けているのだと思います。それを改めて人に語ってみせる機会はあまりないでしょう。だからそれは断片的なおしゃべりや愚痴の形で漏らされることが多いでしょう。しかしそれ以上に、一人きりのとき、頭の中で、本人は無意識かもしれませんが、自分の人生を語り続け、意味づけしているのだと思います。

それもまた「物語化」だと言えるでしょう。しかしそれは、単線的で二項対立に基づくネットに漂う物語とは対照的です。

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倉数茂

1969年生まれ。大学院修了後、中国大陸の大学で5年間日本文学を教える。帰国後の2011年、第1回ピュアフル小説賞「大賞」を受賞した『黒揚羽の夏』でデビュー。18年に刊行された『名もなき王国』で第39回日本SF大賞、第32回三島由紀夫賞にダブルノミネート。

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