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オリックスと合併し「近鉄バファローズ」が消滅したのは2004年。今からもう15年前のこと。“ホリエモンも登場した合併問題”“選手会主導の初のストライキ”など、日本中を巻き込んだ球界再編問題を覚えている方も少なくないだろう。
そんな、消滅した球団「近鉄バファローズ」の真実について今一度迫ったのが『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(元永知宏/集英社)だ。この本で取材した多くの近鉄在籍選手や関係者の中から、一部、書籍からは内容を加筆修正した3人のストーリーを紹介する。
ひとりめの“最後の監督”梨田昌孝氏に続く、ふたりめは4打席連続ホームランや東京ドームスピーカー直撃弾などで強烈な記憶をファンに残した、あの助っ人の証言――

球団史上最強の助っ人のひとり、ラルフ・ブライアントは言う。「近鉄は僕のすべて!」

「10・19決戦」のイベントのため来日していたラルフ・ブライアント氏を直撃! 近鉄在籍時から30年たった今もなおこうして声がかかるのは記憶に残る選手だから!
「10・19決戦」のイベントのため来日していたラルフ・ブライアント氏を直撃! 近鉄在籍時から30年たった今もなおこうして声がかかるのは記憶に残る選手だから!

中日の二軍からトレードされるや、74試合で34本塁打!

もし、ラルフ・ブライアントがいなければ、1980年代後半から1990年前半にかけて最強を誇った西武ライオンズの牙城は崩せなかったはずだ。1988年のシーズン途中まで中日ドラゴンズの二軍でくすぶっていたひとりのスラッガーが日本プロ野球の歴史を大きく変えた。

体がよじれるほどの豪快なスイングで、ホームランを連発。1988年6月27日にチームに合流して、わずか3カ月あまり(74試合出場)で34本塁打、73打点をマークした。8月26日に1試合3ホームランを放つなど、破壊力はすさまじかった。

「近鉄にトレードされる前は、どうやって日本の野球にアジャストすればいいのか、よくわからなかった。野球そのものも、練習や生活のスタイルも全然違ったからね。日本の練習はとにかく長く、ハードだった。バッティング練習の前に1時間もランニングをするなんて、考えられなかった。それが一番困ったところ」

しかし、近鉄バファローズの中西太打撃コーチの指導を受けたことが、その後の大爆発につながった。

「日本式の練習を繰り返したことで、自分の意識も変わったし、日本のいいところを取り入れようという気になったよ。そこが、自分の中で一番変わったところかもしれない」

近鉄への移籍を告げられたとき、自分でもこれほどの成績を残すとは思ってはいなかった。

「近鉄に移籍だと聞いて、はじめは驚いた。でも、すぐに大きな親会社が持つ球団だということがわかった。話を聞いて、自分を変えるきっかけになるかもしれない、一軍に上がれるチャンスだとポジティブに考えた。

そのために大事なのは日本の野球にアジャストすること。自分を合わせることだけを考えていた。日本の野球から何を学べるか、その中で自分の力を発揮できるのか。近鉄では、自分のベストを尽くすことしか頭になかったね」

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元永知宏

もとなが・ともひろ●1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。『期待はずれのドラフト1位――逆境からのそれぞれのリベンジ』『敗北を力に! 甲子園の敗者たち』『レギュラーになれなかったきみへ』(いずれも岩波書店)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社)、『敗者復活 地獄をみたドラフト1位、第二の人生』(河出書房新社)、『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『野球を裏切らない――負けないエース 斉藤和巳』(インプレス)などの著書がある

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