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絶対にマネしてはいけない! サハラ砂漠1000kmマラソンに挑む男が試みた壮絶な「人体実験」

世界遺産の街シンゲッティへ

 パリから僕たちを乗せた飛行機はモーリタニア内陸部の都市、アタールへと降り立った。
 国際空港ではあるがまわりにビルのような建物は何もなく、茶色の砂と土の大地があるだけだ。タラップを降りると、モワッとした熱気と焼けるような日差しを浴びた。目の前には何かの倉庫かと思うような白く小さい平屋の建物があり、そこが入国審査場となっているようだった。滑走路の脇には、次に飛び立つ飛行機に乗せる無数のバッグがそのまま地面にずらっと置かれていた。アフリカに来たと感じた。
 入国審査ではエボラウイルスなどの感染症対策の検温が行われた。通過後、入国ビザを取得するために、小さな部屋でパスポートチェックと顔写真撮影が行われた。こちらも無事に通過したのだが、返却されたビザ証明書を見ると、色濃く白黒コピーをしたような感じで顔が真っ黒! これじゃどこの誰だかわからない。こんな写真で良いのかと思わず笑ってしまった。
 到着ロビーに出ると、たくさんの客引きらしき現地の人たちであふれている。ひとまず日本であらかじめ換金していたユーロから、現地通貨のウギア(1ウギア=約3円)に両替することはできたが、少しだけ期待していたSIMカードはやっぱり買うことはできなかった。

 カラフルなTシャツの上には、カーテンほどの大判の水色の布で作られたモーリタニア特有の民族衣装「ブーブ」を肩から足元までまとい、ちらりと見える足元は砂にまみれたサンダル。そして手にはフランス語で書いている看板を持ち、外国人の僕らを見つめる。
 そんな客引きから「チャイニーズ?」と声をかけられる。海外レースで声をかけられることはあるが、第一声で思い切り日本人以外と間違えられたことに多少腹が立ち、大きな声で「ジャパニーズ!」と言い返す。それでも勝手にスーツケースを運ばれそうになった。チップを請求されるのは面倒と思い、他の選手たちの行く先を追う。
 駐車場へ出ると、すでに選手たちはいくつかの車に乗り込んでいた。アランはどこかに行ってしまっており、何の説明もなく状況がわからない。なんとか状況を把握しようと、その場の雰囲気を観察する。すると、さっきの現地人たちが運転席に乗り込め始めた。なるほど彼らは現地スタッフだったのだ。そうこうしている間に車はどんどん出発していき、僕と大和田くんはあわてて残っている車に乗り込んだ。パリで集合して以来ろくに説明もされず、スケジュールも行き先もわからないままに。
 こういうことは他のレースでもたびたびあるので慣れてはいるが、今回は参加選手たちのほとんどがアランの主催する大会の常連だったので、より一層説明がなく物事は進んでいった。

 しばらくすると、とあるホテルらしき建物に到着した。実際はレンガの塀に囲われた砂の中庭に、わらの家がいくつも並んでおり、今日はここで宿泊するようだ。あまりに暑い。40℃を超えていた。
 日かげで休憩をとり、しばらく時間を過ごすと、昼食が運ばれてきた。赤茶色の米に、大きなぶつ切りのキャベツ、にんじん、いも、そしてブリに似ているがもっと茶色くしたような魚の煮付けとレモン。味付けがほとんどなく、魚は新鮮とはほど遠い生温かさと臭みが混じっている。
 どうしても食が進まず、僕も大和田くんも魚は半分以上を残した。

「レースのスタートまで3日もあるが、これ、大丈夫か……」

 不安な気持ちだけが膨らんでいった。食事後はティータイムだ。紅茶を10倍ほど苦くしたような味のお茶に、たっぷりの砂糖を加え、さらにミントを入れて煮詰める。それを小さなグラスで飲む。濃厚な苦味と甘味が交わり、とってもおいしい。思わずおかわりをした。これはモーリタニアでよく飲まれるミントティーで、現地のみんなが作れるし毎日飲んでいる。
 SIMカードを購入したいと現地スタッフに伝えると、どこからともなく入手してきてくれた。なんとか電波が繫がったものの、通信状態はすこぶる悪く、ほとんど使えない。
 そうこうしているとまた移動することになった。どうやらここはランチ休憩で集まっていただけのドライブインのようなところで、宿は別のところのようだ。再び車に乗り込み、1時間ほど砂漠を走った。

 車は世界遺産の街シンゲッティに到着した。
 金や象牙、塩を運ぶキャラバンの交易の中継地として12世紀ごろから栄え、一時は3万5000頭のラクダを集めたキャラバンの出発地になったほどの都市である。文化都市としても知られ、1万冊以上の古書が残るモーリタニア最大の観光地だという。だが砂漠に囲まれた街は、経済的には発展しておらず、いわゆる観光地のイメージからは想像できないほどだった。

 宿泊先はレンガと漆喰しっくいで作られた茶色と白色のホテルだ。小さな部屋が平屋建てで連なり、部屋数は15室ほど。車から荷物を降ろし、向かった先は3人部屋。僕と大和田くんに加えて、大会オフィシャルのフォトグラファーのフランス人、ジャンが同室となった。英語もできて親切で、フランス語のわからない僕たちのために、率先してアランとの架け橋となってくれた。

 屋根が丸い部屋に入ると、3人で4畳半ほどの空間。地面は赤褐色の絨毯じゅうたんが敷かれ、漆喰の壁は水色、天井はわらでできていた。室内には独特の模様で刺繡ししゅうされたマットレスが3枚置いてある。トイレは野外も覚悟していたが、共有の水洗トイレがあり温水シャワーもあった。
 外にでると、ホテルの高台から360度ぐるりと見渡すことができた。ちょうどラクダを4頭引き連れて歩いている人が通る。ラクダたちはそれぞれロープで繫がれており、前の2頭は絨毯や荷物を背負っている。おそらく商店などへ何かを運んだ後なのだろう。ホテルをでて近くまで行って写真を撮らせてもらった。
 日が暮れかかると、空一面は青からオレンジへの美しいグラデーションで、キャンパスに描いた一枚の絵のようだ。

 真っ暗になった20時に夕食が始まった。20人ほど入れる部屋で、選手やスタッフが一堂に集まって食事をする。アフリカの主食である、小麦粉から作るクスクスとビーフシチュー、それにデーツと水が振る舞われた。クスクスは僕の口に合わなかったが、シチューはおいしく食べることができた。

(以下、次回に続く)

こうしていよいよ、砂漠でのアドベンチャーマラソン「ラ・ワンサウザンド」がスタート!
……するのですが、そこはやはり4大極地最高峰レース。すんなりとレースが進むはずもなく……。続く「レース前半・トラブル続出」編は、1月19日(火)公開予定です! お楽しみに!

実験のひとつ「富士山 全5ルート96km +9600mを寝ずにやってみた!」動画はこちら!

過酷すぎる挑戦と挫折、そして成長の記録!

「賞金なし!」「すべて自己責任!」「舞台は、砂漠、荒野、山岳、氷雪、ジャングル!」……そんな世界でもっとも過酷なレース「アドベンチャーマラソン」。日本唯一のプロアドベンチャーランナーとして『情熱大陸』などでも特集され、ここに人生のすべてをかける北田雄夫さんの挑戦と挫折と成長の日々をつづるノンフィクション。

2014~19年までで参加したレースの合計は、なんと、総走行距離5332㎞! 総時間1420時間! 総費用1280万円! 気温差75℃!
貧⾎持ちで小心者、暑さ寒さに弱く⻑距離⾛も苦⼿――そう自認する北田さんは、なぜ「日本人初の7大陸レース走破」を達成することができたのか。そして、なぜその後も更なる極限に挑み続けるのか……!?

書籍『地球のはしからはしまで走って考えたこと』の詳細はこちらから

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新刊紹介

北田雄夫

きただ・たかお
1984年生まれ、大阪府堺市出身。中学から陸上を始め、近畿大学3年時に4×400メートルリレーで日本選手権3位。
就職後は一度、競技から離れるも「自分の可能性に挑戦したい!」と再び競技を始める。
2014年、30歳からアドベンチャーマラソンに参戦。
17年、日本人として初めて「世界7大陸アドベンチャーマラソン走破」を達成。
現在は「世界4大極地の最高峰レース走破」にチャレンジ中。

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