2025.10.28
最終回 巧妙な差別──「今の時代、こんなこと言えないけど……」に潜むワナ
記事が続きます
差別を否定しているように見せかけて…
しかし高山は、(高山17)で「いや今の時代、こんなん言うたらあかんのやろけどな?」と急に現代社会の反差別規範に触れ、自らの態度を否定的に評価する。
これは一見自己否定的に見えるが、「謙遜」と同じく自分の「品性」を示す機能を持ち、「自分は理解ある寛容な人間だ」ということを表明するものだ。吉田はこれを受け、(吉田18)で「実際迷惑」として高山のそれまでの発言を正当化し、高山の態度が規範からの逸脱ではなく状況的にやむを得ないものであると位置付ける。「ガヤガヤ」というオノマトペは、漠然とした迷惑の具体性を演出し、逸脱行為の正当化を補強するのに一役買っているといえるだろう。
ところが高山は(高山19)で「旅館にとっては収入源になる」と述べ、吉田による正当化を前提としながらも外国人受け入れを肯定する立場を強固にする。これによって吉田は差別主義的立場を維持したまま取り残される格好となるが、続く(吉田20)では高山の発言を繰り返して同意の相づちをうち、自身も寛容な立場へ移行して、両者は「品性のある大人」として完結する。
これは、どこにでもある友人同士の他愛もない会話だ。しかしまず言っておきたいのは、後半の高山の「掌返し」は、人々が行う典型的な「差別」であるということだ。これは、言語学の分野では、差別していることを否定しながら差別を行う「差別否定のストラテジー」(van Dijk, 2004)として知られている。
「私は黒人に対して何も思わない、しかし…」「もちろん難民は大変だろう、でも…」「私は気にしないが、私の顧客が…」。「…」の部分には、差別的ステレオタイプに基づく発言が続く。前半の肯定的な部分は、自分の面子の保持や印象操作のために行われているだけだ。
一般に、「偏見」とはある物事に対して典型的に抱いている否定的評価であり、「差別」とはそれが外に表されたものだとされる。つまり、偏見は心理的要素で構成されており、差別は行動的要素で構成されるものだ。ことばを発するという行為はいつも、人に影響を与える社会活動であり、偏見を口にすることはまぎれもなく「差別」という「行動」である。
差別否定のストラテジーを用いて自分が差別をしていることを否定する人々は、「差別をしていない」のではなく、自分は心の広い適切な振る舞いをする人間であり、公的集団の規範に従うきちんとした市民であることを示しながら、「差別をしている」のである。
一方、コミュニケーションの展開という観点からこの会話を見てみると、吉田は実に良い聞き手である。高山の語りに対して彼は相づちを打って同意や共感を示し、時に先を促すように同調的なコメントを差し挟む。「人間関係を良好に保つための会話への参加の仕方」として、申し分ない振る舞いだといえるだろう。
その相づちは「差別」につながっているかもしれない
しかし、このように「良い聞き手」「良い友人」であろうとすることが、時に、より大きな社会正義に反してしまうことがある。目の前の相手との人間関係に配慮し、コミュニケーション上の「正解」を優先することによって、自分自身が差別を行う側になってしまうのだ。
より身近な例でいえば、学校や職場におけるいじめと同じ構造だ。「私たち」と「彼(ら)」というウチ/ソトの二分法は、ウチ集団の絆や肯定感を高める、安易だが甘美な道具である。仲良しグループの仲間たちにとっての「良い聞き手」「良い友人」であろうとして、「ソト」と認定した誰かの悪口に参加したり、排除行動に加担したりしてしまう例はよく耳にする。
また、(高山15)の「おっさんら5人」のように、仲間内の笑いを誘うために「彼(ら)」を滑稽に見せる表現もエスカレートしがちである。ここにおいて、コミュニケーション上の「善」はより広い社会正義上の「悪」に転じる。
それは、誰もがやっている「仲間同士のノリ」であり、日常の「ちょっとした罪のないおしゃべり」だろうか? 声高に差別発言を行う「あの人たち」と自分とは「違う」のだろうか?
言語学者van Dijk(2004)は、「私たちが世界について学ぶことの多くは、家族や友人、同僚との日常的な会話から得られる。民族的偏見やイデオロギーについても同じことがいえる」と述べている。
特定の人々に対する偏見が、私たちの日常で繰り返し語られ、「良い友人」の相づちによって補強されることで、差別は「現実」として作られる。そしてそれが、集団、地域、組織、国家といったよりマクロなレベルで共有・実現され、支配と不平等の構造を生む。それをまた私たちがメディア等から学び、「友人」たちに語り、「友人」はそれを補強する。こうして差別は再生産され、ステレオタイプはより強固なものになっていく。
「相手との人間関係を大切にすること」「場の空気を乱さないこと」「推論を働かせてフレームの中で適切に振る舞うこと」。これらはいずれも「円滑なコミュニケーション」の要件だ。この連載では個人間のコミュニケーションに焦点を当て、談話分析を通してこういったミクロな言語実践を考えてきた。
しかし第1回の冒頭でも述べたように、どんなコミュニケーションも社会とつながっている。私たちの発するひと言ひと言は、社会から影響を受けたものであり、また社会に影響を与えるものでもある。だからこそ、私たちは目の前の利益(友人との人間関係)を追うためだけにことばを使うのではなく、より広い視点でその発言が社会にどのような影響を与えうるかということも考えていかなければならない。
何気ない一言が「差別の再生産」を突き崩す
そして「差別されること」も実は、まったく「他人ごと」ではない。今回は「訪日外国人観光客」を取り上げたが、私たちが海外旅行に行けばまさに、全く同じことが、今度は「差別される側」として起こりうる。日常生活でも同様だ。差別は、国籍、ジェンダー、障がい、出自など、しばしば差別問題として大きく取り上げられる属性に対してだけ行われているわけではない。
私たちは一人一人、学歴、貧富、出身地、外見の美醜、身長、年齢、職業、配偶者の有無、子どものある無し…といったさまざまな属性を同時に有しており、ある場面では「差別する側」だったものが、別の場面では瞬時に「差別される側」になり得る。自分だけでなく、家族や友人も同様だ。
だから、これは自分自身は横に置いておいて、「差別されている人たちを救いましょう」という「善人」になろうという話ではない。自分や自分の大切な人たちが安心して暮らせるよう、「差別を再生産する構造」自体を変えていかなければならないという話だ。
そして私たちが今日からできることは、「差別否定のストラテジー」は「差別をしている」ことと同義であることを自覚し、目の前で起こっている差別に「ノリ」や相づちで応えないことである。それはコミュニケーション上、とても難しいことだ。それに、選挙における自分の「一票」よりもさらに効果がなさそうに感じる。
しかし、ネット社会に突入し、私たちは「一人一人」の集結した「大勢」の力がどれほど大きいのかを、良い意味でも悪い意味でも経験してきている。「一人一人の行動が世界を変える」など使い古された言い回しだが、今の時代こそ、その意味を現実的なものとして受け止めることができるようになっているのではないだろうか。
私たちの何気ないひと言が、大きな差別を支えている。ならば、何気ないひと言で、その構造を崩すこともできるはずだ。
***
差別への抵抗(漫画/田房永子)
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