2025.2.19
信じられない、もう二度と会社に行かなくていいなんて……最終話 事務員生活の終わり
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その中で、何回言っても同じミスをするうえ、進捗を確認すると「やりました」とバレバレな嘘をつく人が現れた。せめてもう少し練った言い訳をしてくれないと、騙される側にも演技力が要求されるので困る。以前にも何度も同じミスをする人というのはいたが、まだ若者だったからか一生懸命だし従順ではあった。それゆえあまりキツく注意するのも忍びなく心を砕いていたのだが、今度の人は堂々と嘘をつくし、注意されるとイラつきを隠さないし、私も面倒になってミスを見つけても何も言わなくなった。最終的には営業部の逆鱗に触れ、過去の適当なメールを上司に全て報告され、その男性はクビになったようだ。厳密には日本の会社で即日クビにはできないはずなので、人事と相談して辞めたと思われる。その面談があった日、彼が乱暴に引き出しの中身を鞄に詰め、怒りを滲ませながら何も言わずに帰ったのを覚えている。
1週間くらいは他の社員も何も知らず「今日も休みですか」なんて言っていたので、私は普段あまり喋らないくせに先日目撃した一部始終を嬉々として喋りまくった。私も負けず劣らずヤバい奴である。怒りを露わにしながら辞めた彼は、いつもこうやって辞めさせられているのかもしれない。新卒でもない限り、根気よく見守る社員はいないだろうし、最初の1カ月でミスが目立つと悪印象だけが溜まっていき、周囲の目も厳しくなるだろう。すぐに誤魔化して嘘をつくのも、後から身につけた処世術の可能性を考えると気の毒にも思える。
金融機関に勤めていた頃、会社でお客様にキレることはなかったが、家に帰って食器を洗っている時や頭を洗っている時には、いつもブツブツ文句を言っていた。今でもシャワー中に独り言を言う癖はあるのだが、当時は親に言えなかった恨みつらみや、会社で言えなかった文句をまるで電話で誰かと会話しているかのように喋っていた。もしかすると、気づいていないだけで電車の中や道端ですら声に出ていたかもしれない。休日にごく普通に過ごしていても、手が滑ってシンクにカチャンと箸を落とした程度のことで急に怒りが沸騰して、「ウーーーッ」と大きな唸り声を上げ思いっきり戸棚を蹴るなんてことがよくあった。道を歩きながら暴言を吐いている人を見ると他人事とは思えない。1社目以降はキレることが格段に減ったが、あのまま続けていたらどうなっていたんだろう。
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おそらく私は、ちょっと気を張っていれば、ある年齢までは会社員としてやっていけただろう。だだ、会社というのは社長を頂点としているためか、マネジメントに関わる人間の報酬が多く、そこから離れると給料は安く立場も不安定になる。「事務は売上に直接貢献してないから」。これは、3社目の建設関係の会社でよく言われたセリフだった。たしかに事務は体力勝負のハードな仕事ではないし営業利益を上げる仕事ではないが、だからこそ人によっては無意味に感じて我慢ならない仕事ではないだろうか。少なくとも私には、彼らの言い方が「誰でもできる楽な仕事に俺たちの稼ぎから給料を分配してあげている」というニュアンスが感じられた。私としては、誰もがキレずに自分を保ち続けられる仕事に落ちついている、その意味では等しく仕事をしていると思っているのだが、同意を得られたことはない。それに私も、スーツを着た上層部の男性社員に混じって肩を並べて働きたいかと言われると、まずその環境に尻込みしてしまうし、組織の中で階段を上っていく競技に全く興味が持てないのだ。やる気がないと言われればそれまでだが、現状、競技選手に立候補しないのならば試合会場の清掃を頑張ることになっている。
やっと見つけた安住の地を離れるのはもったいなかったが、ここにしがみつくのと、「連載をやってみない?」という不確実な提案に乗ってみるのと、リスクはそう変わらないだろう。そうはいっても、ネームを仕上げるたびに連載が現実味を増し、不安で暗い気持ちになっていく。先延ばしにしたい。「連載」という予感に満ちた今が一番気楽で楽しいのだから。私はいつも適正なタイミングを逃す人間なので、昔からテストで山を張るのが得意だった友人にどうするべきか相談した。すると「私なら明日、上司に退職するって言う。早く辞めた方が早く漫画に集中できるじゃん」と返ってきた。全くもって合理的な判断である。どうせ辞めるなら早い方がいい。友人に言われた通り、次の日には会社に退職したい旨を告げた。
まだ春になる前の寒い季節、上司に手短に挨拶を済ませてオフィスを出た。私の望んでいた社員間の交流が薄い会社だからか、本当の「最後」だからか、少し名残惜しい。古ぼけたビルをしみじみ見上げ、信じられないという気持ちを実感した。信じられない。明日から出勤しない。うまくいけばもう、永遠に出勤しない。こんな日が来るなんて、全然信じられない。
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漫画家を名乗るようになってしばらく経ち、気づいたことがある。私は事務をやっていた頃と何も変わっていない。やっていることは多少違うが、事務職と同じようにミスをしないことを念頭に置き、スケジュールを決めて、ネーム、ペン入れと淡々と作業していく。その分、芸術性の高い作品とは言えないと思うが、今のところはこの心持ちで進めている。私は前からこうだったのだ。漫画家になって別人になったわけではなく、事務職の自分のまま作品を作っている。今までずっと、どこか事務職の自分に後ろめたさを感じていた。秀でた能力がないから、営業ができないから、長時間労働は嫌だから、事務をやっている。そして、そういう自分に支払われる手取り17万円が私の値段なのだと心のどこかで痛感し、自分が「安い」ことを恥じていた。もちろん、給料が人間の価値ではないなどということはわかっているが、それでも恥じる気持ちを払拭するのは難しかった。でも今やっと、給料が自分の評価ではないと思えるようになった。けどそれは、当時に比べて生活が楽になったから思えることだろう。お金の心配が減ったら、いとも簡単にいつもギリギリだった心情を忘れてしまうのだ。そういう時、かつての自分を裏切ったような気持ちになる。むしろあの頃の方が、私はもっと直接的に人の役に立っていたし、手を抜いて働いていたわけでもなかったし、立派とまで言わなくても十分よくやっていた。あの頃そう思いたかった。でも私は、辞めないとわからなかったのだ。
「東北っぽいね」は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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